大豆の会の新展開
あしがら農の会には、田んぼの会、お茶の会、と「大豆の会」がある。大豆の会は昨年まで2反弱の下大井の田んぼ跡で耕作を続けてきた。そもそも、10数年前味噌作りを田んぼでやったのが、始まりだった。自然食の引き売りをしていた「一帆」さんの活動だった。5,6回あったのだと思う。音楽をされる人達だったので、大豆を煮ている間は、コンサートのようだった。後には今大磯の方に越した、陶芸をされる方が、巨大なまるで火事のような野焼きをやったりもした。味噌作りを中心にした、文化祭のような雰囲気だった。味噌よりも文化祭の方を楽しみに集まった人が多かったと思う。場所は内山の下の方の田んぼだった。今くだかけ生活舎で耕作している田んぼあたりだ。その活動が美帆さんに引き継がれ、それがまた農の会で引き継いでやるようになった。手前味噌が美味しいと言う事が、背景にあり、味噌作りが自給の入り口にあるのがちょうどいいのだろう。
農の会でやるようになって、当然の事だけど大豆も自給したいと言う事になった。農の会の人が作った大豆を、購入して味噌を作ると言う事もあったが、参加者が増えてとても会の内部の大豆では足りなくなった。そんなこともあって、Aさんが使っていた会の借りている畑が空くことを機会に、そこを先ずは1反だけ大豆畑にした。大豆が良く出来た。田んぼの畦なら良くできると言う経験があったので、田んぼに沢山畦を作ったような大豆作りだ。その後、Jさんが担当した場所に広げた。さらに、Mさんが耕作した場所にも広げ、2反弱の大豆畑になった。味噌の会の活動以来、一貫してNさんが中心に運営してきた。この「大豆の会」の特徴は自給の活動ではあるが、味噌作りだけでも良い。種蒔きだけでも良い。草取りだけでも良い。自由な参加が可能な点である。冗談ヌキに、草取りだけに参加した人もいる。
実に農の会らしい、「自給の思想」の主張だと思っている。農家の方から、以前田んぼで笑って作業しているのが許せない。こう言われたことがある。もっと真剣にやれ。と言う事のようだ。近代農業では笑いも許されなくなったのかと驚いた。江戸時代の田植えでは、みんなを冗談で笑わせる漫才師のような、役割があったという。卑猥であり、滑稽であり、すれすれの噂話で、過酷な労働を吹き飛ばそうということらしい。労働を禁欲的なものにしたのは、工業社会の賃金労働である。倫理観で監視しようという、資本の論理が働いている。農業で言えば、租税や小作料を搾り取るために勤勉を強制する。これは支配者の思想だ。生活するものの自給はもっと自由なものだ。元来、人間には田んぼで昼寝する権利がある。のんびり行こうよどこまでも。のんびりやったって、自給には一日1時間で足りるのだ。
今度大豆の畑は山北に第2グループが出来る。まさに、農の会らしい広がり方だ。自分にはこういう自給のほうが、都合がいいという形で、次のグループが出来る。田んぼの会もこういう形で、10ほどのグループになった。それぞれのグループはそれぞれの耕作法を行う。それぞれの思想に基づき、運営がされる。その結果、まるで空気が違う10のグループが出来た。大豆の会もそれぞれの思想に基づき行われればいい。既に県内にも様々なやり方の大豆の活動があるらしい。同じであることは少しも魅力がない。違いを大切にする。違っていても排除しない。違うと思う者は批判をするのではなく、自分らしいやり方を提案してゆけば良い。そして違うものが並立して、少しも違和感なく調和する。それが素晴しいのだと思う。まさに、田んぼの会がそうなっている。でも、その1時間の自給が結構大変なのだ。