日本経済の再生法
一つだけ考えがある。最低賃金制度を止める。いま神奈川県では736円ですか。農家の暮らしにも是非ともそれだけ戴きたいぐらいだ。最低賃金は生活保護費との整合性で決まるらしいが、おかしなことだ。こんなことを書けば、怒り心頭の労働組合が居る位は分かる。それとは又別の事として言いたいのだ。派遣社員を雇用できないで、解雇するのは労賃が高いからだ。解雇する社員の給与分を全社員がかぶれば良い。一企業の全ての社員の労賃を値下げする。派遣社員の切捨てもしないで済む。今より減るのでは暮せない。こう言う事だとは思うが、路上生活を始めるより、他に道がないとしたら、それを選ぶしかない。社宅で暮せるだけありがたいと思わなくてはならない。労働時間は短縮に成るだろう。企業が農場をもって、ここで働いてもらうのもいい。ともかく自分たちが食べる食糧を作ることだ。生活費が減る。社宅だって、出てもらった後、空き家になるだけだ。企業が借り上げている場合は、経費がだいぶ浮くだろうが、大家の方も、空き家になって困るだけだから、この際半額にする。
最低賃金736円が高すぎる。私の自給で考えても一ヶ月30時間として、22000円だ。これに100坪の地代と道具や種苗など入れれば、食糧自給に25000円は必要となってしまう。4人家族なら、10万円必要。食糧を買って暮らすのなら6万円と言う事だ。賃金が自給350円ぐらいになればトントン、色々違ってくる。畑をやった方がましになる。736円が何故出てきたかといえば、やりたくない仕事をやらされるための価格だ。労働力を売るという発想で勝ち取ってきた価格だ。しかし、みんながやりたい仕事と価格は別物であるべきだ。野球選手はタダでもやりたいなら、何億は高い。みんながやりたい仕事をやるのが本来なら、賃金と言うものは存在しない。好きなことをやれるなら、後は生きてさえいければ良いはずだが。なぜかそうはならない。何故、企業は賃下げより解雇を選ぶのか。制度的に難しい、労働協約上難しい。この時のための、契約社員制度のはずだ。結局は自分たちが、資本が良ければいいのだ。
好きなことなどどうでもいい。楽して暮したい。これまた当然の人間の本性の事だ。そこでバランスが必要になる。最低賃金350円でどうだろう。路上生活より増しじゃないか。もちろん好きで路上で暮している立派な人もいる。そうじゃないと、雲水などいなくなる。あくまで一般論。そうして少々嫌だけどやらなきゃならない仕事を350円で我慢して働く。そうして社宅で暮させてもらう。企業が食糧生産をしない場合は、週休3日ぐらいになる。食糧を作る楽しみを見つける。釣りが好きなら、漁業だ。植物が好きなら農業だ。山が好きなら樵。スポーツが好きなら土木作業。プラモデルが好きなら大工さん。もちろん荒唐無稽なことを書いている。しかし、生きていくのが楽になりすぎていたと思う。生きるのが精一杯がもともと普通の事だ。おとなしい羊にされてきた。毛を採らせてくれるなら、後はただ草を食べているのがいい羊。
契約解除が言い渡されたら、人間が生きる原点に帰って判断するしかない。何でもして働くしかない。350円でいいなら仕事はある。正直そこまで状況は行き詰っていない。しかし、だんだんにそこまで行くと考えて於いて損はない。農業分野は人手不足だ。しかし、農家の人が最低賃金以下で働いているのに雇用は出来ない。結局、生れて死ぬ。それ以上もそれ以下もない。たまたま戴いた生命を出来る限り、味わいたいじゃないか。充分に日々を生きる。と言っても、誰だって日々いい加減なものだ。充分どころか、昨日も、今日も遣り残し、アーァ、だめだったの日々。出来る範囲の事で、納得してゆくしかない。それは何も人と比較したりして判断することじゃない。充分出来ないからと言って辛くならない気分。シッタコウベヲメグラシテヘイヲダス。瓶を割っても気にしない。得意の方で、そこそこやればいい。そう、格好悪くギリギリに暮らす事を社会が容認することだ。