給食の持ち帰り
困窮家庭の生徒が給食を持ち帰るらしい。いよいよここまで来たかの感がある。実は私は違う意味で良く持ち帰った。小学校では、食べきれないので持ち帰った。食欲がいつも無かったので、結局食べ残した。食べ残しもいけないことになっていたので、苦しかった。何とかごまかして、食べ残しのコッペパンを持ち帰った。時に見つかっては怒られるのだが、食べれないものを無理やり食べさせられる辛さは、今も思い出せるぐらいだ。家で食べ物がないから持ち帰る。こちらはフランスでの留学中は毎日だった。ありがたいことに学食が街のアチコチに点在している。何処でも都合の良い学食に行くことになる。何処の学食は今日は休みとか、何処のメニューが美味しいとか、どこはすいているとか。学生書を見せて、食券を一枚3フラン程度出せれば何処で食べてもいい。学食では食べ物の選択はない。1種類のフルコースのようなものがあり、パンは自由に取れるようになっていた。この量が私には多い。そこで、パンに余った物をサンドイッチにして、持ち帰る。これが翌日の朝食になる。毎日そうしていた。
日本で起きている給食の持ち帰りは、もう少し深刻のようだ。家に食べる物がないから持ち帰る。給食費が払えないどころではない。給食費が払えるのに払わない親の問題もある。小田原の市議会でも、質問が出ていた。集めるのに教師が苦労しているらしい。給食費の事では昔も似たような嫌なことがあった。当時は給食費集め係りがあり、集めて教師のところに持っていった。所が誰と誰は、集めないでいいことになっていた。生活保護費を受けている家庭ということだったと思う。これは係りだけにわかる。それがみんなにわかるのは、給食費が余ったので、みんなに饅頭を配ると言うようなことが起こる。何故か、給食費を払っている者だけに配る。当然何人かがもらえない。嫌な暗い雰囲気を覚えている。給食費ぐらい、全部政府で出せないものか。食育と言うくらいだから、教育費だと思えば良い。そうすれば全部米にしても文句が出ない。
格差社会は今後もより深刻になる。より拍車がかかるように社会が出来ている。それが社会的合意かと言えば、そうではない。国際競争力の強化のためにはそれしかない。生ぬるい平等社会ではダメだ。と言う考えなのだろうが、実はこの考えが誤りだ。経済競争、グローバル化。これは強い国がその強さを維持するための論理だ。世界に生きる人が等しく、普通に暮していけるようになる為には、むしろ、地域主義の方がいい。競争の条件は平等だ。と言いながらも、資本が100ある者と1の者とで、同じ条件化で競争は出来ない。弱い者からより搾取するための、自由化と言う事になってしまう。例外を除けば普通の競争は出来ない。安い労働力だけが武器、ここから這い登れと言う経済が健全だろうか。特別のアメリカンドリームのような、天才の努力を例に上げられても、普通に暮すものには関係がない。
実は文部省の指示で、給食持ち帰りは禁止されている学校がほとんどである。「パン等の残食の持ち帰りは禁止することが望ましい」と規定した「学校給食衛生管理の基準」がある。食中毒O157以来の、学校の安全管理上のことが、先にきている。持ち帰りの衛生管理を教育すれば良い。持ち帰り箱でも用意させたらどうか。その辺は考えようともしない。もちろん全部食えは困る。あまれば捨てるでは教育とは言えない。子供の暮らしの方が変わっている。無菌状態のような暮らしをしている子供が居る。普通の常識が通用しないのだ。テレビでも抗菌グッズなどコマーシャルが盛んだ。こんな状態で子供の健康は、育まれるのか。きわめて心配だ。そこの根本に触れないで、学校側の自己防御のような、給食パン持ち帰り禁止。しかし、帰って夕飯がないような状態の生徒も居る中で、手付かずの給食が余って捨てられている。持ち帰るなとは酷なことだ。こんな状態が教育現場で起きていていいのか。
昨日の自給作業:草刈、ごぼう堀2時間 累計時間:26時間