金融資本主義の崩壊
リーマンとか言う証券会社が倒産した。日本にも支社がある大きな会社。アメリカの経済は後退局面にあり、証券会社の倒産は予測どおりの展開と報道には書いてある。サブプライムローンの破綻とか言っていたが、住宅は値上がりするものだと言う、馬鹿馬鹿しい考えに基づき、借金しても建てておけば損はないからと言う事で、返済の当てのない借金による住宅建設が進んでいた。このこと事態がおかしな話で、何時崩壊するのかと思っていた。資本主義経済社会と言うか、金融資本主意の危うい所で、利益を上げるためにどんな事でもすることになる。当面の利益追求に目がくらみ、行き詰まりが必ず来ると言う事に気がつかない。日本の公共事業や、国債の不相応な発行と同じことだ。投資、お金を回す事で、巨額な利益を上げる。石油に投資されていた資金は、今何処に行こうとしているのか。
実際に労働して、利益を上げるのでなく。資本を動かす事で、利益を出す。その利益の規模があまりに巨額で、一国の国家予算以上のものになる。そこで思考出来なくなる。リーマンの破綻で、何故、各国の中央銀行が資金供給を増やすのか。繋がりが理解できない。理解は良く出来ないのだが、世界の今の仕組みは、徐々に崩壊を始めている、ように見える。アメリカのように、世界に出かけて常に戦争をしている。戦争をしていると言う事が、経済においては悪い事でもないという事らしい。しかし、戦争も、証券会社の倒産も、アメリカのグローバリズムが、崩れ始めている過程である事には代わりはないと思う。豊かな国は生産することなく資本を回してさえいれば、利益が湯水のごとく生ずる。このような状況が、そう続くはずがない。仕組み全体については、どうにも理解できないが、生理的に受け入れられないものがあり、こんな馬鹿な事は続かない。そう腹の虫が言っている。
日本でも建築会社のセールスは、いい家を建てれば資産に成ると言っていた。家とか土地は使用価値しかない。私はそう思っている。自分が使う以上の価値などあるはずがない。土地や家を、何度も購入を繰り返したが、いつも自分があと何年使うかだけが、判断材料だった。つまり、投資をするという視点で考えれば、自分自身に投資する以上の事は、この世にあり得ないと考えている。自分がやりたいことをやれる以上の事はない。田んぼは貸してもらっている。もし貸してくれる人が居なくなれば、購入してもやりたい。農業を資産管理の方法と考える人が居る。農業そのもので利益を上げるのでなく。宅地化されて行く事を見越して、農地を安く購入して利益を上げる。こう言うやり方の方が、畑でコツコツ作物を生産することより、比較にならないほど利益が出た。これが、農業を健全に経営する精神を崩した。
リーマンは、ライブドア事件でも上手く利益を得た。アチコチでずるがしこく利益を上げてきて、いつかは崩壊する。これは当然ではないだろうか。アメリカという国は、リーマンを救済しなかった。日本は銀行の不良債権のときは、税金を投入した。大きすぎるものは潰せない。という話だった。石油の価格を操作できるほどの巨額な資金は、次の儲けを探しているのだろう。無くてならないものを、買い占める。食糧はどうだろう。鉄とか、貴重金属とか。利益を上げるためなら、何でもやれるぐらいの、巨額な資金のようだ。こんなものに、まともな健全な世界が、ひっかき回されてしまう。たぶんこれをとめる方法はない。資本主義経済というものの、限界が見えてきているのだろう。人間の倫理と経済の姿が、これほど乖離してしまえば、後はみちがないだろう。