舟原の工事
私の家の入り口にある。大きな旧家の家が取り壊され、更地になって久しい。大正時代に建てられた家だと聞いていたが、それは立派な家だった。6メートルはある大きな槙の垣根が、ぐるりと取り囲み、立派な植木や大きな庭石、見たこともあまりない石灯篭。何処から何処まで大旧家そのものの概観だった。半年近く空き家になった後、この7月に取り壊された。あっけなく1週間で、全てが取り除かれ、そう、植木から大きな槙の垣根まで、根こそぎ取り除かれ、勢いで、私の家のミカンまで、断り無く切られてしまった。その後は空地になったまま、雑草が日に日に目立ってきている。舟原では、この所住宅開発が目立っている。数えると、7軒ほど新築の家が建てられている。もう新しい住人が住んだ家が6軒あるし、現在販売中もある。さらに整地している場所もある。住宅建設の為に整地しているところもまだある。建築ブームと言える状況だ。それは船原だけでなく、久野全体で見れば、新築住宅がドンドン売りに出ている。
住人にはこんな風に見えても、建築や不動産業者に聞くところでは、家は売れないし建築の仕事がないと必ず聞かされる。大手に仕事を取られて、地元の業者に仕事がないとか、下請けに入らなくては仕事がないとか。しかし、ドンドン家は建てられている。本当に家がいるのだろうかと心配になる。この辺が良くわからない。何か自転車操業のようなもので、大きな破綻は来ないのだろうか。人事ながら心配な気もする。家の前の大きなバス通りは、舗装がきれいにやり直しがされた。きれいになって嬉しいけれど。何故、家の前だけ100メートルあまりがきれいになったかは、良くわからない。舟原でいえばこの部分だけがきれに直された。改修にはきっと基準があるのだろう。この工事が、1週間と言う事だったが、倍の2週間かかった。家に出入りできないのだから、相当不便だった。
アスファルトを剥がして、一度きれいに砂利を敷いた。そこを10メートルおきに穴が開いていた。何だろうと思っていたら、それが検査だった。それでやり直しと成った。検査がされていると言う実際を始めてみたが、馴れ合いでなく本気でやっているのだと再認識した。何がいけなかったかは分からないが、暑い中一生懸命仕事をしていたのも見ていたので、同情してしまった。折角作ったものを、取り除いてのやり直しだから大変な事だった。さらに1週間出入りが不便で困ったし、検査を通らないようなものを作ったのは良くない。子供の頃道普請を見に行った事がある。村の中央の道が、まだ階段状に成っていた。当然車は通れない。何とか通ろうと言う時には、その段差に養生をして車を通していた。車が必需品になって、その段差を部落総出で平らに直したのだ。東京の方で請負の仕事をしていた、サダオさんが陣頭指揮していた。水路を渡っていた巨大な石の移動はお祭りのように賑やかだった。自分たちでやるしかなかった訳だ。
下の家も7棟とかの住宅開発らしい。1軒が7軒に成るのだから、いかに大きな家だったかとおもう。人が増えるのは嬉しいことだ。しかし7軒も建てて、住む人はあるのだろうかと、余計な心配はする。私だって越してきたのだから、越してくる人は無い訳ではないのだろう。二極化しているのかも知れない。都会のより中心に住もうという人。便利さは我慢しても、豊かな自然の中で暮したい。確かに10年近く暮して舟原の環境は素晴しい。しかも、死ぬまで暮せる条件もある。都会回帰と自然回帰。舟原は本当に貴重な地域だと思う。舟原の良さは、小田原の今後の方向を示している。
昨日の自給作業:ジャガイモの植え付け1時間 累計時間:22時間