レンコンの味
今年取れたレンコンがおいしくない。市販のものより更においしくない。何故だろう。先日来、コカブがおいしくて、糠漬けだけあればいいという状態だったけれど、家で作ったからと言って、おいしくないものもある。自分が作るのだから、おいしくなければ、自分に合う様にすればいい。昨年おいしかったのは、澱粉がほっくりとたまった感じのおいしさだった。所が、なにやら今年はかすかすと物足りない。すかすかした感じだ。これは、いかにも土が悪いという気がする。そもそもレンコンは沼地の作物だろう。同じ田んぼでも、レンコンの方が、地が深い気がする。今年は代かきをしっかりやってみよう。昨年は、あまり代かきをせず、残したレンコンをそのまま大きくした。あれがたぶん、いけなかった。レンコン掘りをしていて、昨年より、土が赤く酸化した部分が多く見られる。土が、水に浸かり続けることに反応を始めたような気がする。
工夫をすれば、良い土になる兆しはあるのだろう。しっかりと堆肥を入れるというのも今年は、やって見よう。庭池でやっているので、田んぼの土が出来てゆく過程を観察するという意味では、食べながら進めば、大いに参考になる。おいしいと言う事は、無視すべきとしてきた訳だが、良い土壌と同じで、「おいしい」は実は大きな観察要素だ。味というもので見る観察能力には、すごい判別能力があり、糖度計など今ある機器とは較べられない、実は深いものがある。ところが、世間の「おいしい」があまりにひどい状況にある。グルメブームとか言われてからか、よりどぎつい味に、進んだ気がする。あわい、ほのかな味というものの評価は、低い。世間でおいしいといわれるものは、概して、濃厚味の分野だ。油の味が大半だ。おいしいパンというので食べると、バター味だったり、牛乳味だっあり、卵味だったり。本来ご飯と同じ主食だから、素直な小麦そのもののおいしさを、味わう事がどこかに行った。
以前、菜の花の高橋さんから、和菓子の味について、伺ったことがある。高橋さんは味の絶対評価は存在するというのだ。それだけの訓練を積んだ、味の専門家は、ソムリエのように、和菓子の味評価が出来るというのだ。そうした、味の専門家なら、味の時代の変化というものを、どう考えるのだろうか。味というものが、食品の全てであるとすれば、おいしいはその人の健康にいいと言う事と、どう関係するのだろうか。美食家即不健康という、私の感じ方は、間違っているのだろうか。美食家とも成ると、文化的傾向が大きいものだろうから、時代が間違っていれば、味もおかしなものにならないか。
世間の事ではなかった、レンコンの味がいけなかったことに、田んぼの土壌の減水深20ミリが自然農法では目指すべき事。これが繋がったのだ。浸透性のいい田んぼの方が土壌がいいような、印象を持っていた。70ミリぐらいあったほうが、お米はおいしいと思い込んでいた。狭い経験的なもので、水の抜けない田のお米はまずい。こんな偏見があったようだ。今年は、大きな塩ビ管の筒を田んぼの差し込んで、畦からの漏水を除いた、土壌の浸透性を計る。これを幾つかの田んぼで試してみる。味は難しいが、田んぼの土壌の判断には、大いに役立つ。結局澱粉のあまり乗らない、さっぱり系のお米が好きなので、良く実らないようなお米が好きなのだろう。そのため、減水深の大きい、棚田のお米がおいしいと思い込む事になったのだろう。おいしくなかったレンコンのお陰で、田んぼの土を見直すことが出来そうだ。
昨日の自給作業:インゲン、胡瓜種蒔き 2時間 累計時間:12時間