収穫祭

   

12月22日に収穫祭がある。毎年、工夫をして、自分たちらしい、あしがら農の会らしい、収穫祭に出来ないか。試行錯誤してきた。ほとんど顔を合わせる事のなく、一年が過ぎてしまう人が多い。せめて、収穫祭ぐらいはという気持ちがある。会って話せれば、特段の事は無くてもいいような気がしてきた。以前、俊介さんに聞いた、お祭りが、主催者は寝る場所と1週間という日にちを設定する。後は集まった人達がやりたいことをやる。これはすごいと思った。普通はどうにもならないだろうと、想像する。しかし、これが素晴しく、集まった人らしく、盛り上がったというのだ。マニュアル世代とか言われて、何かが準備されないとできない。とされているが、あえて、何も準備がない中でこそ、他では味わえない、何かが生まれてきたらしい。主催者は祭りの熟達者なのだろう。

昨年の農の会の収穫祭は、作業をする収穫祭だった。ひたすら大豆の脱穀をした。農の会は農業にまつわる会なのだから、日頃の作業の延長として、脱穀をするのがいいという事だった。準備やら、保存、運搬と、手間暇がかかった。当日100人くらいで、大豆の選別までを80キロぐらい出来た。と言う結果だった。私は餅つきなど周辺作業をしていたのだが、ユニークではあったが、今年もやろうという声は出なかった。道普請とか、小屋作りとか、川清掃とか、集落での作業のあとの、ご苦労さん会のようなものをイメージした訳だが、ああいう具合にはならなかった。

今年は、以前から私が思っていたものを提案させてもらった。親しく話す、だけの収穫祭だ。話題提供者がいて、後はそれにまつわる話を、幾つかの輪になって、語り合う。話題は、農や暮らしにまつわるものであればなんでもいい。今のところ、料理の輪と、有機農業推進法の輪と、もう一つとなっていた。一応最後の輪は田んぼにまつわる話。話題提供者と言うか、田んぼの輪の調整役になった。田んぼの面白さが、語り合えればと思っている。それこそ、それぞれのもので、何が面白くて田んぼをやるのかなど、当事者以外共感できないものだと思っている。話をするというのも得意不得意があるから、迷惑な人もいるけれで、ゆっくり話しができて、輪の中で聞いていると言うだけでもいいと思う。田んぼにかかわる思いが語り合えるとも思えないが、何かその空気が伝い合えればと思う。
一番難しいことなのだけど、農の会は参加する人のそれぞれが主体となるものだ。別に会を盛り上げる必要もないし、今のままで充分だとおもう。ただ、人と人が出会うわけだから、その活性化というか。潤滑油と言うか。交流もないのでは、面白さが増してこない。一人ひとりの農とのかかわりは、この時代に農にかかわって見ようと言うのだから、考えがあるのだろうし、つまらないわけがない。個別性を尊重しながら、その出合が上手く起こること。

当日は、200円の参加費で、誰でも参加できる。この機会に農の会を探ってたい、全く始めての人も参加する。だれでも、違和感なく馴染める集まりだとおもう。瀬戸屋敷で、22日、夜5時から、9時まで行われる。多い時は300人とか、400人になるのだが、今回は60人ぐらいではないかと、思っている。

 - あしがら農の会