市民運動論
すっかり5期目に立候補すると見られていた、小澤市長が、5月の任期で再出馬しないことを、表明した。小田原の市民運動には、間違いなく朗報だ。4期16年の間で、最も賢明な政治判断が出来た。何せ小澤市長は、市民が主役の市政と、一方で言いながら。実際には、市民には「ごみのような迷惑施設」の検討にはかかわらせない。このように、市議会で断言した迷市長だ。素案を行政職員がしっかりと作り、出来上がったら議会に提示する。それで了解が取れたならば、市民に提示する。この手順で進めると言うのだ。小澤手法は全てが、市民不在だった。市民の能力を育てる手段を探求せず、市民は身勝手で、能力のない存在と決め付けているかのようだった。その結果行われる市行政施策は実にバランスを欠いたものになる。いつも市民にしめされるのは、結論だけ。
その一番の好例が、「城下町サミット」そのことは前にも書いた。農業の関わりでは「農業特区」がそうだった。突然、天から降ってきた農業特区だったが、市民参加の農業で一見良さそうだったが、私の想像では、市長取り巻きの農業者から、の反対を受けて、3年で止めてしまって、既に担当の職員もいない。これにかかわった農の会は、とんでもなく被害を受けた。何せ農業委員でも知らないと言う、突然の特区だった。建築行政でも、そのアンバランスは関係者の多くが言う所だ。何故あそこにだけ、駆け込みやら、偽装で、建築許可が下りて、と言う。それが小田原だと言う諦めが蔓延している。下手に指摘して、自分があおりを食ってはたまらない。建築関係者の現場の空気だ。有力者が関係しているのだろう。とか、裏社会だ。と言う風に噂される。
城下町ホールと、小田原駅隣接地の再開発に道筋をつけたので、というのが不出馬の理由だが、まさに最後っ屁だ。反対があれほど強いのだから、今度の選挙で是非の判断を市民に仰ぐことが、市民が主役と言う事だろう。そうした結果、小田原で何が起きているかと言えば、まともなギャラリーのない唯一の20万都市だ。その他アンバランスはいくらでも指摘できる。ここからが本題。つい市政の事を書き出すと、腹が立つので前置きが長くなる。市民活動は盛んだ。指標になるかどうかは分からないが、調べてみると、2400戸を割る農家のうちで、100戸を越える、有機農業を試みている農家がある。認証を受けている数だけでも、30戸近くあるようだ。全国的な数値は正確なものが見つからないが、1000件中1戸からせいぜい5戸が有機と言われる。
有機農業と市民運動はもちろん違うが、自主的に農業を展望している人が多い。と言う事の指標でないか。これは福祉関係でも同じで、本当に熱心な市民活動を継続されている。所が、これへの対応もばらつく。あるワクの中の大規模組織とその関係団体だけのことで、その枠外の団体には、きわめて冷たい対応となる。市民的活動にも、有力者を中心にした、行政丸抱えでの活動と言うものがある。いい子にしていれば協力させてもらいます。と言う空気がある。小澤市長はオオルドボランティアと言う言葉が好きだ。自治会の組織を中心にした、村社会を反映したような、小澤市長お気に入りの主役となる市民のことらしい。小田原は可能性に満ちた町だ。その可能性を萎えさせ続けた小澤市政16年。やっと終わる。サイゴペを3つした。優良田園住宅。駅脇再開発。城下町ホール。どれもが、市民運動から出来あがったのではなく。市長の強引な置き土産だ。さあーこの後始末をどうする。