福田流スカシ術

   

福田首相は正念場を迎えている。参議院が少数党であると言う、初めての話し合わなければ、何もできないと言う、民主主義のごく初歩的な、ルールにやっと国会が正常化した。ようにも見える。国会での話し合いは、結論をたてにしながらの議論で、当たり前の話し合いではなかった。話しながら第3の道を探ると言うのが、話し合いの常道。もう一つは話し合うことで、問題の全貌が見えてきて、どうでもいい対立点については妥協できる。所がこの話し合いと言う事が、現代日本人には苦手なことだ。社会のルールがそうなっていないから、結論ありの形式的説明を、民主主義のルール上、必要とされてきたにすぎない。所が、国会と言う舞台で、国民に注目されながら、不慣れな「はなしあい」をして見せなければならなくなった。「インド洋給油問題」民主党が、どのような成果が上がったか示してください。こう尋ねている。自民党は軍事機密だから内容については示せませんが、国際的評価は高いです。

まだ、不慣れな為か、「話し合い」までは進めない。そこで福田自民党も、小澤民主党、長年慣例の得意の裏取引の方を模索した。こんなことをしていたら、国民に我々国会議員のインチキが見えちゃうよ。という訳だ。議論は形式だけにしておいて、後は官僚が実務的に事を進める。官僚に花を持たされ、鼻頭らを引き回されていたことが、バレバレになる。今の厚生省がそうだ。国民健康保険のでたらめが、次々に出てきた。これが大昔からそうだったと言うから驚く。まだ給付が始まらない時代に、集めたお金を先の払いを考えないで、でたらめに管理した。給付が増えてきて、お金が足りないと言うので、あれこれ締め始めたら、これが穴だらけで、大臣自らが、想像以上の杜撰さだ。と言わざる得ない事態となった。

民主主義のいいところは、学習機能だ。最初は間違いが多いいが、段々まともになっていく。全体主義は、最初はスッキリでいいが段々最悪になってゆく。日本の国会はやっと民主主義の第2段階に登ったのではないか。最後のあがきが、小泉劇場だった。「嫌なやつは出てゆけ。」ちゃぶ台をひっくり返す名場面だ。冷めて見れば、国民は選択の失敗に気付いた。郵政民営化どころか、自分の暮らしが危うくなり始めていた。米百俵だ。とか言いながら、企業収益だけが、増大していた。困窮に耐えろと言われたのは、弱い者だけ。企業の国際競争力だ。企業増税は企業の流出になる。気付いた時には、戦後最悪の格差社会の到来。

福田首相はシニカルな振りをして、全てを軽く受け流す手法だ。そんな興奮して、いきり立たないでよ。みっともないでしょ。こんな調子だ。しかし、福田流スカシ作戦がいよいよ通用しなくなり、4回目の小沢会談を目指したと言う。ありそうなことだ。問題に正面から当るべきだ。正しいと思う。インド洋給油を、あらゆる側面から、国民に説明したら良い。軍事機密など言ってないで、出来うる限り説明すべきだ。それが先ずの学習でないか。説明しようにも、いい説明は資料が廃棄されていたりで、出来ないだろう。それでも、杜撰は杜撰で認めるのは仕方がない。あらゆる質問に、逃げないで答えるべきだ。民主党の質問の方も国民は、注目している。くだらない揚げ足取りをしていれば、理解できるレベルの、国民に成長している。国民の一人である私は、この「はなしあい」を通して、民主主義の第2段階を学習したい。

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