最小限の家
ついに、建築確認を申請した。6月18日だった。5月始めに、申請内容を整理し、担当のSさんのところに伺った。しかし、まだ不充分のところがあり、もう一度整理修正してくることになった。慣れないことと言う事もあるが、意味のわからない数字とか、倉庫業を営まない倉庫。とか独特の記載様式がある。Sさんは行政マンらしく、かたくなな所はあるが、親切な人ではある。丁寧な人である。しかし、その能力のない私に、説明しなければならないというのは、辛いバカバカしいものがあるだろう。何度か切れていた。何故、私がこんなことで、怒られなければならないのか分からないが、起こりたくなる気持ちは、よく分かった。バカバカしいのだ。何とか建築可能にしてあげようとしているのに、何故その趣旨を理解し、いうとおりにしないのだ。
11回目で申請に到ったことになる。この間空いたのが、田植え。田植えの事で頭が一杯だったので、この申請は気に成っていたが、手がつけられなかった。結局慣れない事で、理解できていない事を、やってしまうには、助走が長くかかる。どの書類も3部いるという。こんなことはすぐやれるはずだが、結構気が重く、渋っていた。そんなこんなで、修正して出せばいいことに1ヶ月かかった。いつも小屋を作る準備のため、積み上げてある、材料の木材の山が、なんとも恨めしそうに見ていた。木の色もすっかりねずみ色になった。これが時間が経過して、良くなっている面と、保存が悪くて問題化している点とがあるようで、木の方が何とかしてくれと悲鳴を上げていた。まだ紆余曲折はあるだろうが、遠からず着工になるようだ。
一番の問題は、ここで養鶏業をやることにある。初めて市役所に言ったのは、「養鶏場をやりたいのですが。」と言う事だ。「養鶏場をビニールハウスで行う事は出来ません。」と言う驚くべき見解から始まったのだ。あれこれたらい回しにされて、Sさんのところに流れ着いたのだが、Sさんも養鶏場というものに触れないで、進めようとしている。養鶏場をやる為に小屋を建てるのは、現実だ。にもかかわらず、現在の書類上は、あくまで、倉庫業を営まない倉庫、だ。私としてはこれをおかしいと感じている。ところが、養鶏作業小屋というと、建てることはできないと言う。それならそれで申請するから、建てられない理由を明確にして、拒否してくれ。これが私の方針だった。ここで手間取った。Sさんが言うには、「行政が養鶏業をここで営む事を、承認したと言う事にしようとしているなら、とんでもないことだ。」このように言われる。
確かにそうなのだろう。養鶏場はトリインフルエンザで嫌われものだ。行政としては、どんな形であれ、かかわりたくないのだろう。しかし、鶏を飼う事が、こうして、暗に排除されてゆく事は、危険だと思う。実際養鶏場をやるには、地域の暮らしから、一定の距離を持ってやるのだろう。それが、情けないが今の現実だ。養鶏が無理としても、ここで最小限の暮らしの畑を体験してもらう事はできる。むしろ主旨はそこにある。自宅のほうも、そうした開放した場に徐々に変えてゆくつもりだ。最小限の家は、それでも、倉庫業を営まない倉庫として、建てられることになりそうだ。養鶏をやれないでも、ここの農地に作業小屋が必要なことは確かだ。作業小屋を建てて、ここで遠くの海を眺めながら、お茶を飲める日が来ることを、待っている。