畑作りと小屋作り

      2016/08/08

最小限の畑がついに出来た。裏山の竹薮だったところに、昨日菜花を蒔いた。ここまで来るのに、丁度1年かかった。開墾して、畑や田んぼを作るという作業は、実に面白く、やりがいのあることだ。人生3回の開拓で生きた人がいる。満蒙開拓。岩手での戦後開拓。そして、ブラジルに移民しての3回目の開拓。何となく理解できる。大地を耕すことの善悪は別にして、身体を張って土を耕す事は、生命的な作業で深い感動がある。

20年前山北で開墾をしていた時は、まだ30代だった。身体を酷使する事に、爽快感もあった。一日、岩場につるはしを振るっていることができた。機械力を使う事は考えもしなかった。今回は、竹の根を掘り出す事は、機械でやってもらった。竹の開墾は奥の和留沢でやった人の話では、1日の作業量が人力だと2坪だそうだ。今回、畑になったのが、70坪。その周辺や、道路。最小限の家の予定地。200坪はあったと思うので、100日の作業になる。これが機械だと1日少しですんでしまった。なんと言うことか。化石燃料のアリガタさ。程ほどにしないと。

竹林を庭にした人の話を聞いた。先ず完全に切り払い、根はそのままにして、空き地のようにして、何年間竹が出てくるか、気長にしていたそうだ。出てくる竹は、即座に捕り尽して、8年目にやっと出てこなくなったそうだ。竹の強さと言うのはすさまじい物だ。そうだ、竹林に地震の時逃げろというのが、嘘だと言う話も昨日聞いた。竹は根が浅いから、そのまま地滑りするのだそうだ。関東大震災の熱海では竹林が大崩れして、崩壊した家があったそうだ。

畑にしたと言っても、まだまだ竹の根が出てくる。これを片付けるのが、結構大仕事だった。土は大きな塊なので、それを細かく崩すだけでも、1日仕事だった。そこに、鶏糞を20袋撒いた。鶏糞は養鶏場から出して、米袋に入れておき、2ヶ月ほど経ったものだ。床で熱が出ているものを、袋詰めして再度熱を出したものだ。これは畑にそのまま使ってもいい結果になる。10アールで1,6トン堆肥を入れた計算になる。それでもわずかな物だ。もう一回は近いうちに入れたい。

今から、菜花を蒔いて間に合うのか、と言う心配がある。昨夜、雨が降ると言う事が分かっていたので、その前に蒔く事にした。まず、鶏糞を撒いて、1週間置いた土を耕した。次に、畑は平らにレーキでならした。そこに、菜花の種をばら蒔きにした。その上から、竹を3本切り倒し引っ張って歩いた。それが終わる頃から雨に変わった。10月中に蒔くように袋には書いてあるが。この後暖かい日が、続いてくれれば、発芽するはずだ。いい方に考えている。

最小限の家の丁張りもした。砲台型に地面を作った。これは一年前にやった。その後土が馴染んで、落ち着いた地面に、3,2メートルの正方形を描いた。これも楽しい作業だ。正方形に糸を張るだけでも、直角を採るのは案外難しい。1つの角を合板の角の90度にした。後は3,2をとり、更に3,2を採ると正方形。こんな事に半日かかった。その外側50センチに丁張りをした。今度は水平を取って、杭とヌキで、ぐるりと取り囲んだ。土台を何処に、どんな深さに掘ればいいかがこれで見えてきた。抜きには柱の来るところや、あれこれ書き込んである。これはまだ、途中だ。

近い内に榎の大きい物を3本倒す事になっている。これも大山さんにお願いした。この準備で、竹薮を切り払った。毎日何かしら外仕事がある。

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