郵政造反組の復党
自由民主党という政党が、実に、「美しく無い日本」の伝統を継承している事が良く分かる。しかし、この美しく無い姿こそが、日本の主流であり、このやり方が知恵のある、自民党的やり方として日本を覆ってきたといえる。日本人がおかしくなっている象徴のような、政治手法だ。
郵政民営化の問題があった。小泉首相が強い関心を持っていた。アメリカからの要請もあった。郵便貯金事業と簡易保険事業の自由化が問題だった。赤字の郵便事業を民営化して、過疎地域の郵便事業を、どのように公平に継続できるか。論議が尽くされていない。見切り発車のような形で、郵政民営化是か否か、衆議院を解散した。規制緩和、官から民へ、ぶっ壊すとか、刺客とか、ホリエモンとか、肝心のことは良く分からないまま、レッテル言葉に振り回されたまま、小泉劇場に国民は負けた。憲法改定問題、教育基本法の問題。重要な選択が出来たのだろうか。郵政民営化自体も本当に国民は選択したのだろうか。
自民党の幹事長は、反省の誓約書を書けば、復党を認めると言い出した。1年前に自民党から、除名処分にしておいて、復党を言出だすことに不思議がある。それならそもそも、除名しなければいいだろう。しかし、この手法が醜い日本人の巧みなやり方の象徴だ。合理性は無い。ご都合主義。理論的には滅茶苦茶。義理人情。馴れ合い。この国の政治をつかさどる人達の体質だ。国民の大半がすぐ忘れて、受け入れてしまう。国民一人ひとりの周辺も、この理論を越えたいやらしいやり方の世界で、取り巻かれている事を、本能的に気付いている。
イダヤ・ペンダソン流に言えば、これが日本教の宗旨なのだろう。暗黙の了解。自民党は世論の動向を見ていた。いくつかのアドバルーンを揚げて、世論の反応を見ていた。反応によって何処へでも落とせるようにしていた。一見多様な考え方が自民党内にあるごとく、見せかけながら、結局復党を計ろうとしている。この間安倍総理の考え方を全く見せない。その手法が「いかにも」自民党的、醜い日本的だ。造反といわれて、のこのこ戻るのも、さすが元自民党の議員だ。
この日本的、多分他の国では起こりえない奇妙なことが、平然と進む日本という国、醜い国を美しい国に、どうすれば変えられるのかだろう。教育基本法を変えようという気持ちは分かる。このままでは日本人がダメだ。確かに、自民党のようになってしまう。教育を変えて、何とかしたい。こう思うのも無理も無い。自分の醜さだから良く分かるのだろう。
やはり戦争が良くなかったと思う。15年の戦争の間の教育が、特に良くなかった。この間に初等教育を受けた世代は、まともな教育を受けていない。しかも、戦後価値観が大きく変わり、人間性の成長という意味で、大きな欠落がある。北朝鮮の教育と同様な教育を受けた人々が、今政治の中心にいる。この怖さが、今の自民党の姿だ。安倍総理はその魑魅魍魎の代理の総理だ。言い成りになっている間だけのことだろう。戦中教育世代の生き方は、建前はあくまできれいごと。実際の暮らしは、独善的利益誘導。これに尽きる。
こんなどうしようもない話をしていてもしょうがない。この現状を変えられるとしたら、大きく遠回りをすることになるが。夫々が自分の考えで、自分の暮らしを、自分の力でおくる。そう変える以外ない。それができれば日本は変わる。