野宿生活者
野宿生活者と呼ぶらしい。路上生活者よりも実態に近いという事で、この名称を使うという事。ホームレスという言葉を、行政は使う。報道関係もほぼ、ホームレスという言葉だ。言葉は使いすぎると、汚れることもあるから、時々洗濯しないといけないという事もある。野宿生活者は実態の表現に一番近いのかもしれない。この場合、小屋を作らない人は、野宿という言葉から、少し外れる感じもある。公演などに家はある人の場合、ホームレスはおかしい。
それに、小屋を作る人と、そうで無い人では、大分実態、感触が違うように感じているからだ。
先日、小田原でパトロールを10年以上続けている。Iさんからお話を聞いた。檜山市会議員が、月に一回程度、「おしゃべりサロン」という会をされている。ここでは、時々面白い話や、人に出会える。
Iさんにはよくお会いするので、「小田原交流パトロール」の話は聞いていたのですが。改めて、パトロールの話をまとめて聞いて、学ぶところが沢山あった。そうパトロールという言葉も不思議に定着した。パトロールと、ピースカフェに書かれていただけで、小田原にもそういう活動があるとはしらなかった。という事で参加を、申し出てくれた人がいた。路上パトロールという事もあるようだ。
襲撃が繰り返されてから、パトロールという言葉が普及したのだろうか。実態から言えば、パトロールという言葉は少しニュアンスが違うようだ。何か警備員や、警察官を思い出すが、内容は異なり、むしろ、交流という言葉の方に、重点が置かれている。この会は、組織として10年が経過し、大きな成果を生んでいる。
一番は、それまで行政が行き倒れ者として、年間10名を弔っていたものが、現在、2名程度になったそうだ。これは、日銭で生活している人たちが、一番困る、正月前後に炊き出しを行うようにした事が大きいそうだ。
交流パトロールの一番の特徴は、組織としての活動ではなく、あくまで個人として、係わる事が前提になっているそうだ。規約も作らず、会としての企画もしない。個人が自分の責任でやれる事、やりたい事を行うのだそうだ。毎週水曜の夜7時から、2班に分かれて、夜12時ごろまで、コースを決めて歩くのだそうだ。
活動は「話を聞く」という事。話を聞いてやれる事があれば、対応する。例えば身体の具合が悪いようなら、病院に行く様に手配する。病院の費用は行政が持ってくれるようになったそうだ。これは交流パトロールに対する長年の信頼が構築されていて、手続きを待っての対応では、病気という緊急事態には無理があるからだそうだ。
10年間継続されて小田原で暮らしている人が3名。小田原には80名ほど暮らしているそうです。回れない地域が、まだあるそうです。就職し、定住された人が、知る限りでは、10年で4名。
小田原には、野宿者に対する活動が、もう一つ「コッコ牧場」というものがある。ここでは、生活再建ということが目標にされていて、きちっとした農場での労働に従事する。これが、義務づけられている。ここにも16名が現在生活しているが、ここでの生活に耐えられないで、離れる人も多数いる。
交流パトロールの「話をきく」このことに徹した活動というのは、さすがに、様々な活動を経て行き着いたやり方なのか、納得したところだった。