100歳農家、百姓百歳。
日本には百歳になり、農家として作業をされている方が何人も居る。岩手県奥州市の鈴木信夫さんと言う稲作農家のことが、農業新聞に出ていた。それでネットで調べてみると、百歳農家は案外に沢山居るようだ。100歳で農作業をされている話がいくつもあった。たぶん日本全体ではなりの数の方がおられるのでは無いか。
百姓×百歳=万歳。ということになる。大いに希望が持てる。農作業が長寿につながっていることは間違いない。101歳の田代弘さん。福岡県直方市の専業農家さんだ。「勉強を続けて工夫してきたおかげで、最近は無農薬のトマトも作れるようになった。お客さんから“美味しいから来年も作って”と言われるんですが、“来年があるか分からんばい”と答えておきました」
100歳超えて、無農薬栽培に挑戦する気力がすごい。100歳以上の人は9万人を超えたとある。そのうち元気に活動している人は一割ぐらいらしい。つまり9千人もの百歳老人が働いているらしい。まだ寿命は延びているから、私が100歳になることには1万人の老人が働いていると考えて良いようだ。百姓百歳万々歳。
是非ともあやかりたいものだ。100歳まで農作業が出来れば、のぼたん農園は間違いなく完成している。ガウディーにならないで済む。毎日農作業が出来る喜びは、年々増している。76歳になったこれからの一年、今日一日、無事農作業が出来るのか、祈るような気持ちの日々である。
突然、涙が出て仕方なかったのだが、涙腺が詰まっていると言うことだそうだ。涙腺が緩くなるという表現は実は間違いで、耄碌した老人は涙腺が詰まったというべきだった。緑内障で長く薬を使ってきたことも、涙腺がゴミで詰まる原因の一つかもしれない。耳も遠くなってきた。情けないが聞き取りにくい声の人が居る。何度も聞き返してしまい失礼をする。百歳百姓もまだこの先大変な道のりだ。
まず当面の目標はあと6年間で「のぼたん農園」の完成することである。仲間に助けられているから、維持できている。仲間が居ると言うことは、方角は正しいと言うことだ。本当にありがたいことだと思う。「のぼたん農園」は一人でもやり遂げるつもりで始めた。それが今や38人の仲間と助け合い、進めている。
一人では何も出来ない人間である。それなのに、のぼたん農園での自給農業の確立は、生きて動ける間にやり遂げなくては成らないと2021年11月19日のブログに決意したことが書いてある。決意したのは良いが、一人では何も出来ないというか、やる気力が出ない人間なのだ。
「笹村さんは一人では何も出来ないね。自分は一人でもやれるよ。」農家になった方から言われたことがある。そのときは確かにそうだ。農家を一人でやれるなんて大したもんだと思ったものだ。しかし、今になってみると、一人で出来ない人間で良かったと思っている。一人で出来ないから、みんなに助けて貰って生きてきた。
小田原の方には沢山の友人がいる。行けば一緒に農作業が出来る。石垣でのぼたん農園を初めて、今は38人の仲間が居る。これが幸せで無くて、何であろうかと思う。一人で出来ないことは悪いことではなかった。今も誰かが来ると一緒に作業をする。たまには一人で作業するぐらいだ。
山北の山の中で自給自足に挑戦したのは、家族3人でのことだった。一人でやったような気になっているが、3人で無ければ出来なかったに違いない。つまり私は回峰行すら一人では出来ないような人間である。情けないと言えばそういうことだが、回峰行している間の食料は誰が作るのだろうか。やっぱり一人では無い。
人から助けてもらえると言うことほど、大切なことは無い。高校生の頃夏安居に賴岳寺に毎年行った。住職三沢智友老師から、寄進を受けられるような人間になるのは大変なことなのだと言われた。その時には意味が分からなかった。一人で出来ることなどしれているのだ。助けてもらう必要が無い仕事には限界がある。
一人でやれる人間を目指すところは実は、低い課題なのだ。一人では出来ないような大きな課題に取り組む以上、みんなでやれる人間にならなくては成らない。若い頃は自分が率先してやると言うことが前提でのみんなでやるだった。ところが、今は助けて貰うことが前提のみんなでやるである。
のぼたん農園の目標は自給農業の研修農場である。あと6年半あれば、石垣島の自給農業の技術は確立できるはずだ。自給農業技術は次の時代に生きて行く重要な技術になると考えて居る。「人間一人が生きるためには100坪の土地で、一日一時間働けば良い。一人では無く、みんなで助け合う農業だ。」
百歳百姓になるためには、自分のやるべきことを見つけることでは無いかと思っている。自給農業で作る食料はそのための糧である。人生の目標としてやるべきことがあれば、日々精一杯生きることが出来るはずだ。例えてみれば、寝ることだって、工夫を重ねて、寝ることが出来る。
しっかり寝られないようでは、100歳まで百姓は出来るはずも無い。百姓仕事を毎日やれば、夜はぐっすりと寝られる。不安が無いからである。正しい方角に向かって今日一日頑張れたと思えば、本気で寝ることが出来る。まあ、こう言う偉そうなことを書くのは、後24年先に書くべきことだった。
絵を描くことがある。どれだけでも絵が描ける。これは確かに年々そうなっている。今は時間さえあれば絵を描いている。他のことはだんだんどうでも良くなっている。あんなに飲みたかった酒さえ、飲まないで平気になった。ともかく今日一日絵を描くことだけである。
絵を描くことと、農作業は良い兼ね合いである。気分転換に農作業をする。その農作業が気分転換どころか、一日作業になることもある。それでいいと思っている。農作業でやることのある日は、農作業だけで良い。農作業は少しづつやれば、十分やれる。一日一時間の自給農業はちょうど良いのだ。
百姓仕事を続けるために一番大切なのが、腰を痛めないことだ。百姓仕事を続けている人の、九割ぐらいの人が腰痛である。腰痛で百姓を止めざる得ない人が多い。腰痛を防ぐ体操をしなければならない。簡単に言えば、腰周辺のインナーマッスルの強化である。
インナーマッスルとは、体幹深層筋群(腹横筋、多裂筋、骨盤底筋群)のことだ。体幹を鍛えることで姿勢保持の向上、腰殿部痛の軽減が期待できる。脊柱変形による痛みに対しての運動療法や腰痛予防である。様々な老人体操が照会されているが、自分の身体に合う体操を自分で見つけることが重要。
動禅体操のことを書いておく。押しつけがましいようだが、別段人に勧めるとか言う意味では無い。自分がこれを継続していて、農作業が出来ていると言うことの書いて、継続したいからだ。つい今日はいいかになりがたちだ。100歳で農作業が出来ていたら、動禅体操のためだと言うことになり、人様にもおすすめできることになる。
人間の身体は百人十色である。歳をとるまでの間に、身体は人それぞれに個性的なものになっている。どこが衰えてきているかは人によって違う。しかし、百姓仕事は共通して、腰に負担をかける。しゃがみ仕事が多い。しかし、このしゃがみ仕事で体幹が鍛えられれば言うことが無い。
体幹を鍛えるためには呼吸法が重要である。深い腹式呼吸である。お腹を意識して、深く呼吸をしながら、ゆっくりと動く。筋肉を使って意識的に身体を動かすことはやっては成らない。スクワットとか、片足での上下運動とか、強く筋肉を動かす運動は怖い体操だと思っている。
ともかく筋肉は使わない、ゆっくりした動きで出来る体操に限る。太極拳は確かに正しい動きである。ヨガになると筋肉運動が含まれている。静かに呼吸を深く行う。深い腹式呼吸だけでもかなりの効果があるのだが、それに合わせて体幹を使う動きをする。決して筋肉を使わないこと。
動禅体操の具体的な動きは5つの組み合わせ。前にも書いているので、あと24年先に興味のある人は探して貰うことにして、1,雨戸開け。2,立ち上がりとしゃがみ込み。3,手の指体操。4,背伸びとストン。5,合掌礼拝。目は閉じて、深い腹式呼吸で行う。だいたい15分ぐらいの動禅になる。毎朝に余裕と根気と継続力があるならば、各体操を倍にして30分にすれば、理想的である。
心拍数が速くなるほどの動きをしないこと。できる限り心拍数を上げないで、楽な動きでゆっくり、ゆっくりと動く。だから動禅体操は辛い体操では無い。筋肉体操では無い。心拍数を上げる欧米の体操の考えは、日本人の私の身体にははっきり言って障害になる。近代の医療が欧米から来たものだから、この点間違った考えに巻き込まれやすいので要注意である。