山梨で花鳥山の上で絵を描く

   



 今回の小田原行きでは少し無理しても甲府盆地で絵を描きたいと思っていた。秋の葉が枯れ落ちてゆく季節の甲府盆地を見たいと思った。南アルプスの山には雪が来ているはずだ。石垣島に暮らしていて、甲府盆地の秋の空気だけは懐かしくなる。盆地の縁から甲府盆地を見渡す景色に、自分の視覚の作られた風景があるように思っている。

 11月29日と30日の二日間笛吹市から甲府盆地とその向こうにある山の姿を描いた。いつも描いている場所なのだが、今回はこの盆地の風景の特徴を絵を描く気持ちで感じた。ここからの景色は人間が暮らす姿が絵図のように見える。

 人が生きている姿が、よく現われた素晴らしい景色だ。もちろん家の点在する姿もそうなのだが、盆地全体に畑が広がっている。果樹園が多いのだが、今は秋で剪定をしている姿が見える。農作業をされている姿を見て何故か懐かしい気持ちになる。



 秋のしみじみとした空気が身に染みてきた。童謡に唄われるように静かな静かな里の秋だ。雨上がりの木々にすんだ光が当たり輝いている。霞んだ空気に光が反射して、盆地の中が特別な場所のように見えている。この景色を確認したかったと言うことが分かった。

 遠く正面に見える金峯山や甲武信岳。そして甲斐駒や北岳が雪をかぶっている。雲で隠れている当たりに、北アルプスが見えるはずだ。確かに連山の影は特別ではあるのだが、やはり甲府盆地の輝く人間の営みの姿は神聖なものに見えた。

 人間が生きている舞台なのだ。この景色を眺めて、俯瞰の構図が身体に浸み込んだのだと思う。この大きな空間の広がりが自分の中の景色と言うものなのだろう。自分絵を描いてきたわけだが、やっとそのことが絵を描くという視点から、分かりかけてきた。

 絵を何のために描くのか。絵は自分にとって何なのか。すこしづつ見えてきた気がしている。自分の記憶の底に残ってきたものを描きたいのだ。それが自分という人間の見ると言うことを、作り上げてきたという感覚があるからのようだ。

 石垣ののぼたん農園の景色を見ていていも、結局この甲府盆地の景色の空間感が根底にある。空間をとらえる能力のようなものが、向昌院の梅の木の下から、甲府盆地を見ながら獲得した視覚として自分を作っている。そのことが絵を描きながらやっと見えてきた。

 そんなことは普通に暮らしている分には大きな事ではないのだろう。しかし、風景画を描き続けている物としては、何に引きつけられ絵が描きたくなるのかの理由が、知りたかったことだった。梅の木の下で、お婆さんは日がな一日立っている。

 そしてこんな良い景色はどこにもないといつも言うのだ。あそこが油川で、お婆さんの生まれた家だと、懐かしそうに話してくれる。油川の田んぼがあの光っている当たりだとか。あの笛吹川の子供の頃の思い出など話してくれる。それが自分の記憶のように、蓄積された。

 向昌院からの風景は両側に額縁のような山があり、自分の位置は暗いまるで砲台のような場所なのだ。さあこれが風景ですというように、甲府盆地が俯瞰されていた。開墾に行く坊ヶ峯が、甲府盆地を案内してくるように眼下に広がっている。

 脳裏にはまだテレビ塔などない坊ヶ峯には、開墾で出来た畑が美しい貼り絵のように描かれている。その貼り絵は季節ごとに色を変えながら、人間が作り出している、風景として開墾端に行く暑さと楽しさと共に、よみがえってくる。

 山に取り囲まれた大きな空間に人間が暮らす祭壇がある。その祭壇は人間が作り出したものだ。この感覚が記憶の底に残った。人間が営々として暮らしてゆく姿。そこには絶対的な美しさが存在する。悲しいような、涙するような、静かな里の秋なのだ。

 しかし、それは同時にこの場所を出て、新しい希望を感じる暮らしが東京にあると言うことも知っていた。こうした個人的な記憶が風景と結びついてある。それを描いているような気がする。石垣島の始めて見る亜熱帯の風景の中に実は同じものを見ている。

 小田原の篠窪の景色にも同じものを見ている。自分が描きたいと思うものを探してきたわけだが、引きつけられる景色は人間が大きな自然の中で、暮らしていると言うことが、伝わってくる景色のようだ。農の暮らしである。自然をささやかに切り開き、手入れをしながら暮らす姿。

 人が死に働き手を失えば、農地は忽ちもとの姿に戻る。自然に織り込まれた人間の営み。その大切さと悲しさが絵を描きたいという思いになっている。今目の前にある風景というものは人間の営みが作り上げた、折り合いを付けた風景なのだ。

 言葉にすれば私が描くと言うことはそういうことらしい。決めつける必要も無いのだが、甲府盆地の広がりを前にして、そんなことを考えていた。果たして絵がそういう物になっているのかである。まだまだ本質まで到達していないと思う。

 そういう方角へ向かいたいと言うことかもしれない。人間が暮らす景色を描きたいという、私絵画の方角なのだ。人間の暮らしをどのように考えるかとか、そのことにどんな意味があるのかというようなことではない。自分が描きたいという思いの、根底に子供の頃の景色があると言うこと。

 人間が生まれてきて、生きてきて、絵を描いている。そして死ぬまでの残された時間。自分の見ようとした風景の祭壇を絵に表すことにしたい。描くことは祈りである。どうにもならないことをあきらめようとして描いている。その行為の方に意味がある。

 思い出す記憶というものは悲しいものであるが、描く絵は楽観である。花鳥山で描いていたら、描かせていただいた畑のお爺さんが見えた。子供の頃の景色の話から、これから山に戻ってゆくだろうという話をされた。辛いだろう話を楽しそうに話されていた。

 そのすべてを受け入れているのだろう。どうにもならないことをくよくよしたところで始まらない。生きると言うことは楽観である。私の絵は決して暗い絵にはならない。消えてゆく農地の姿も、人間と同じで行為として重要なものだったのだ。

 

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