石垣島の洋蘭栽培

パフィオアーガスアルバ
石垣島で少しパフィオの原種の栽培をしている。山北で栽培に苦労していた頃を思うと、別天地のような恵まれた環境である。今も3株が咲いている。洋蘭好きが昂じた人なら、石垣島に移住するのは一つの選択枝なのかも知れない。恵まれた洋蘭栽培の環境である。
石垣島には洋蘭が栽培したくてきたわけでは無い。ただ街を散歩していると庭で洋蘭を栽培している人をよく見かけた。農協のゆらていく市場でも洋蘭が売られている。それを見ていて、つい栽培したくなった。庭で出来るくらいなら、手がかからず出来るはずだと思えたのだ。
それならと思い、パフィオのことをまた調べ直してみた。自生地の環境をあれこれ調べてみると、パフィオのばあい、石垣島の環境であれば、大抵のものが栽培できそうだった。しかも40年前に競べ、大分丈夫になっているようなのだ。原種の株でもしプリングクロスをして作られている。
台湾が蘭栽培には適していると思っていたのだが、台湾は案外に10度以下まで気温が下がるらしい。高い山があるためのようだ。その点石垣島は海洋性の気候のためか、14度よりも下がることは滅多に無い。温室なしのパフィオ栽培には予想以上に適している。
さらに重要な要素としては、湿度がかなり高いと言うことがある。いまも室内にある湿度計が、90%を示している。気温は4時で25度である。それでいて雨が降っていると言うことでも無い。3月中に熱帯夜がもうそこまで来ている。

夏の高温、特に夜の温度は25度より下がることが無い。こういう高温で蘭は大丈夫か。この点が心配なところだったのだが、これが意外に問題が無かった。風があるからではないだろうかと思っている。風通しの良い家だと、熱帯夜にもかかわらず夏寒いと言われる人がいるくらいだ。
私の家は暑くて仕方がない家なので冷房をかけなければ眠ることは出来ない。風通しは悪いのだと思われるが、それでも外はいくらか風があるようだ。先ずは恐る恐る栽培してみたロスチャイルドディアナムが簡単に花が咲いた。山北で栽培した頃には一度も咲かすことが出来なかった。
パフィオは冬の間も少しも寒さは感じていないと思う。比較的温度が高い必要がある、バンダセルレアが一株だけあるが、垂れ下がったどの根の先も生き返っていて、太い根が出てきている。株自体も元気に成長し、花を咲かせた。
カトレアの原種のトリアネーを数株持っているが、これは今ひとつのようだ。何が悪いのか分からないが、カトレアには向かないのだろうか。アジアの蘭であるパフィオと南米のカトレアでは、何か違いがあるのかも知れない。カトレアは今度、田んぼのそばのヒカゲヘゴに着生させようかと考えている。
栽培のしやすさは蘭の種類によるのかも知れない。アジアの蘭ならば、石垣島むきということだろう。一番好きなパフィオが元気にしてくれているから、これ以上の望むことは無い。ついでのことだが、昨日熱帯睡蓮も開花した。

パフィオの栽培については直射日光に当たらないようにしている。雨は当たるようにしている。しかも車庫の屋根の水が蘭に落ちるようになっている。水は乾いてからやると言うことなので、雨が多い今年の1月2月は水遣りが1,2回だけだった。人よりは乾燥気味の栽培かも知れない。
雨に当ててはいけないと書いてある栽培書もあるが、外での栽培であれば、いくら雨に当たっても洋蘭は大丈夫だ。雨の水は溶存酸素が多く、根を腐らせることは無い。植え込み材料は水苔と、軽石に珊瑚とバークを加えたものと両方あるが、どちらが良いと言うことも無いようだ。植え替えやすいので、だんだんミックスコンポストに変えている。
私がパフィオが好きになったのは、子供の頃母が栽培していたからだ。青山にあった第一園芸に行き、蘭を購入するというのが母の楽しみだった。植え替えもわざわざ第一園芸に持って行ってやって貰っていた。窓辺に置いて、冬は保温をしていた。
第一園芸に行くようになったのは第一園芸の裏に、父の姉が住んでいたからだ。叔母さんの所によってしばらく世間話をしていたのかと思う。父が忙しい暮らしだったから、それが楽しみだったのだろう。私はそばにあった青山ケンネルで犬を見ていた。
パフィオを大切に管理していたのだが、充分に栽培が出来ず、宇都宮大学にいたおじさんのところに持って行った。たぶん大学の温室に置いて貰ったのだろう。その時は戦場ヶ原にあった、大学の農場に連れて行ってくれて、当時始まったイチゴの夏上げなどを見せて貰った。
洋蘭を栽培するようになったのは、窪川さんと蘭友会に入ることになってからである。移住先を二人で探していた。二人で蘭栽培に関する仕事が出来ないかと考えたこともあった。それで東京の家のベランダで蘭の栽培を始めた。ベランダ全体を温室にした。
もちろん母も一緒に栽培をした。かなり東京での苦労した蘭栽培であった。それでも蘭友会には休まず年間の花の出品を続けていた。そして、山北で開墾生活を始めたわけだが、もちろん蘭の栽培はますます熱心になった。蘭に関する仕事はバブルが崩壊して無理になった。
洋蘭もいいものだと思っていたら、峯田さんから手紙が来て、カトレヤやデンドロを分けてあげるから、栽培しないかというものだった。峯田さんは蘭友会にいた頃随分お世話になった方だ。栽培の名人である。実にで美しい栽培をされる。
その峯田さんが、石垣島なら洋蘭を樹木に付ければ活着するはずだから、持っているわけ株を送ってあげるというのだ、何か見えない不思議な縁を感じる。のぼたん農園の溜め池の回りの木に、蘭を着生させたいと思ったところなのだ。のぼたん農園では蘭栽培にも挑戦してみることになった。