正月から大地震、飛行機事故と続く。

   



 正月元旦に、能登半島でマグニチュード7.6の巨大地震が起きた。能登半島に原発がなかったことが幸いだったと思った。この活断層に原発があれば、どうなっただろうか。巨大地震が頻発する、不安極まりない地震国日本で、原発を稼働させるなど狂気の沙汰だ。

 原発直下型が、起きない保証は誰にも出来ない。原発のすぐそばで巨大噴火が起きることだって無いとは言えない。もう一度原発事故があれば、日本はもう立ち直る気力も無い。原発事故ほど精神的圧迫の大きかったことはない。福島よりも悲惨な原発事故が起こる可能性はいつでもある。

 現在57人の死亡が確認され、まだ消息の分からない人が居る。珠洲市では90%の家屋が全壊したという。輪島では火災が起こり、200棟が燃えてしまった。それでも直下型の、7.6という巨大地震にしては、巨大津波がなかったことは不幸中の幸いであった。

 そして2日には、何と能登半島地震の救援物資を届けようとした海上保安庁の飛行機と、JALの千歳空港からの飛行機が滑走路で衝突。まだ詳細は分からないが、飛び立とうとした飛行機と、着陸しようとした飛行機が同じ滑走路を使うという、訳の分からない事故が起きた。

 何故、そんな初歩的なミスが起こりうるのか、信じがたい。今のところJALの旅客機には着陸指示が出ていたことは確かなようだ。着陸指示がないのに降りてくるはずがない。とすると、何故海保の飛行機が滑走路に居たのかが問題になる。

 飛び立ったはずと思った海保の飛行機が、飛び立つのに時間がかかっていたと言うことか。その確認をするのは管制塔だろうから、管制官の指示ミスと言うことになるのか。管制官の指示の安全確認は一人でやっているのだろうか。どういう安全の仕組みで行われているのだろうか。

 滑走路に入る指示は言葉だけでなく、緑のランプが付くというような視覚的な確認方法は採られているのだろうか。最低そのくらいのことはあっても良いはずだ。滑走路に入った飛行機が滑走路から出たときには管制塔の方に、滑走路が空いた緑ランプが付くと言うぐらいの仕組みはないのだろうか。

 月に1回は飛行機に乗る。いままで飛行機に乗って事故の恐怖感はなかったが、今回の事故を考えてみると、人間的な見落としのためと言うことのようだ。これは怖いと思う。ともかく人間の能力は急速に低下している。低下した人が現われてきている。

 その注意力の低下した人でも事故が起きない仕組みに変えなければならない。まさかと思うほど人間力は下がっている。人間の能力を使う必要が無い仕組みの中で育ってきているから、自らの判断力を研ぎ澄ませて仕事をする機会が無いのだろう。

 専門家としての能力の低い人が行うとしても、失敗のしようが無い仕組みを作らなければならない状況になっている。例えば私がやったとしても問題が起きないような仕組みだ。名人の力など期待ができない時代になっているのだ。

 人間の劣化が肉体を使って働くことから離れたために起きている。一時代前は職人仕事であれ、漁業であれ、農業であれ、狩猟であれ、行う者が技量が高くなければ、成り立たない仕事ばかりであった。仕事を通して必要な観察力注意力を高めて、一人前と言われたのだ。

 日本人の9割が農業で生きていたときには、百姓力というものが育っていた。家を作ろうと思えば、だいたいの人が自分で出来た。植物を育てるという仕事を通して、観察力、計画性、予測能力、そうした百姓力が暮らしを通して培われていた。

 農業出身者は軍人になっても、戦争でも一番役に立ったと言われている。塹壕を掘ると言うようなことでも、兵舎を作るというようなことでも、地方から来た農業出身者は役に立ち、都会で招集された元勤め人はまったく役立たずだったと言われる。もう日本には農業をやりながら大人になった人は居ない。

 日本の停滞は農業から離れたことが原因があると考えている。鉢植えの植物一つ育てたことが無い人間ばかりと考えなければ成らない。これくらい分かるだろうと言うことが、次々に裏切られる時代なのだ。もしかしたら、管制塔の仕組みも見直す必要が起きているのかもしれない。

 教えないから悪い。こう考える人が居るだろうが、教えてはだめなのだ。洞察力というものは、教われば教わるほど育たない。自分で発見しなければ身につくものではない。絵画は教われば教わるほどダメになる。自分で発見するためには、指導を受けるよりも、人生を生きる必要があるのだ。教わる事が可能なのは技術。

 管制官のすべてに配慮できる能力に期待するのはもう無駄なのだ。そう考えざる得ないような衝突事故に感じるがどうだろうか。海上保安庁の航空機の機長から「滑走路上で機体が爆発した。自分は脱出した」と通報があったという。通報という所にどこか不自然なことを感じるのだが。
  7時のニュースで管制官は海保の飛行機には待機を指示していたという。それが、滑走路に何故か侵入したというのだ。一体この海保の機長はどうかしていたとしか思えない。滑走路に入るときにはよほどの注意が居る。つまり侵入するときには当然降りてくる飛行機が居ないか確認するだろう。何かおかしい。

 機長以外の5名の人は事故機で死んでいる。どうやって爆発した機体から機長は脱出できたのだろうか。そして通報することになったのだろうか。携帯電話で通報したのだろう。通報しないでも、機体が接触して爆発したことぐらいは管制塔で分かったことのはずだ。

 しかし、日航機の脱出は素晴らしいことだった。あの最初から火柱を上げた機体の様子からすると、400人近い人が良く秩序を守り脱出出来たことは、乗務員の指示や態度も適切だったのだろう。流れている機内の映像からすると、機内は明かりが消え薄暗く、煙が広がっている。

 座るように指示があり、乗客の様子は勝手な行動を取るような人は居ない。私ならどうだっただろうか。あんなに冷静に行動できただろうか。危ういものである。日ごろから訓練をしている乗務員の指示に従うことが一番安全に繋がる。自分勝手なことが良くない。

 正月、元旦2日ととんでもないことが続いた。今日3日におかしな事が無ければ良いのだが、2度ある事は3度あるという。今度は自分自身のことかもしれない。今日は自粛して暮らさなければならない日なのだろう。自給農として、十二分の目配りで、今日一日無事に過ごそうと思う。
 
 先ずは自動車事故。そろそろ免許返納の時期じゃないと、小学校の同級生から言われた。考えているのだそうだ。私としてはまだまだである。返納するわけに行かない状態。そうである以上、前以上の安全運転で行かなければならない。同じ道を同じ時間に通るという範囲に限る必要がある。

 水牛もトラックターも事故はある。事故が起きないよう、再点検の日にしたい。年の初めに身の回りの安全再点検も必要なことかもしれない。

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