なぜ都市集中は起こるのか。

   



 石垣島で暮らしていると、時々出会う石垣島生まれの人でも、大抵の人が関東や関西で暮らした経験がある。小田原にいたと話すと、若い頃厚木で働いたというような人に何人か会ったことがある。こうして石垣島に戻る人もいるが、そのまま都会暮らしに成った人も多いのだろう。

 特に女性であれば、結婚を機に島には戻らないという人の方が多い気がする。私も山梨の山村で生まれて、東京で育った。日本全国でそうしたことが続いているのだろう。そのために、結果的に都市集中が起こるということになる。都会に行くというのは、就職のため、進学のためである。
 
 高校がない地域で育てば、まず高校には98.1%の人が行くのだから、高校のある地方都市へ出ることが多い。家から汽車やバスで通えるという範囲に学校があれば、無理しても通うのだろうが、そうした汽車やバスが、通学に使えなくなってきた地域も少なくない。

 石垣で聞く話では、子供が高校に進学する際に、家族も一緒にどこかの島を出て石垣暮らしに成ったという話だ。離島での仕事や仕事が厳しくなっていて、石垣島での人手不足が目立つから、石垣島で両親が仕事を見付けて、石垣島まで移住すると言うことがある。

 同時に、子供が高校に進学しようとしたときに、沖縄本島やさらには東京に移住してしまう家族もいるようだ。子供の教育を考えたときに、石垣島の高校では不十分という考えに成る家族もあるらしい。大学進学に有利な高校に入れようという事もある。

 子供が絵が好きで美術系に進みたいと言う希望を生かすために、芸大進学コースのある。あるいはそういう予備校のある地域の高校に行かせたという人もいた。その時に両親も一緒に都会に移住するのが普通のようだ。確かに今時の高校生が、一人での都会暮らしは止めた方が良さそうに見える。

 家族が別れて暮らすという経済的負担も大きい。私が大学に行った時代であれば、まだ自活で大学に行く人がかなり存在した。今の大学の学費や生活費では、無理なようだ。地方では子供の教育が十分でないから、都会で暮らすという選択が普通に成っている。都会に出て行く要因は子供の教育と言うことが多い。

 よりよい特定の大学を目指すと言うことも多いのだろう。東大に入りたいと成れば、東京に出るほか無い。東大でなくとも、大都市にある一流大学を目指すと言うことを、進学の目標にする人も多いはずだ。そのためには生活の場も大都市を選択することに成る。

 次の都市に暮らす大きな要因は仕事である。希望するような仕事が都会に集中している。テレビ局に勤めたいとか、出版関係に努めたい。官僚になりたい。大企業に勤めたい。こうした都市にだけ在る仕事というものも多い。またそういう仕事への就職を希望する人が多いのだろう。

 仕事の場はいくらテレワークと言っても、都市集中は変らない。たとえばNHKは公共放送と名乗っている。そして各県に支局がある。それこそ地方分権にすべき性格のテレビ局のはずだ。石垣島にもNHKの記者はいるが、番組を制作しているわけではない。

 放送番組の制作は、あくまで東京中心である。各県の支局が制作するドラマというようなものもないわけではないが、沖縄舞台のドラマでも、東京か大阪で作られる。天気予報を見ていると、都市と地方の関係が分かる。あくまで全国の天気予報は東京で制作される。

 先ず映像はは東京の今の映像からはいり、次に日本全国の天気概況に入る。次に、全国のキー局に移る。福岡から九州地方全体の天気予報に変る。その中で沖縄支局に場面が変り、那覇の映像が出てくる。そして、八重山地方全体が触れられる中で、わずかに石垣島の天気も触れられる。

 いぜんNHKへの意見で、なぜ天気予報を報道する順番に都道府県が固定されているのかという意見があった。その回答は別段差別しているわけではないというものだった。現実には使うセットも、基材も、人材も、都会に集中していることで、成り立っているからだろう。

 それはドラマ制作に成ればさらに都会集中に成らざる得ない。俳優も演出も編集も、音楽も、スタッフも都会にしかいないのだ。都会にいて、顔を合せなければ仕事に成らない場面も多いはずだ。都市に集中しているのはそれでなければ、仕事に成らないからだろう。

  教育が仕事のための予備校に成っている。良い仕事を得るために良い学校に入学することに成る。生きる為の主たる目的が就職に成っている。これが資本主義の能力主義競争の一つの姿なのであろう。競争であるから、より有利なところを求めて、都市に集まって行く。

 資本主義の競争主義が都市集中を作り出している。それは世界中が同様で、資本主義が生まれて以来、都市集中が始まったのだろう。地方再生と言うことを本気で考えるのであれば、資本主義的競争主義を抜け出さなければ出来ないと考えなければ成らない。

 中国では勝手に生活場所を移動することは出来ない。農村で生まれた人が、都市に移住するためにはそれなりの手順がいるようだ。それでも、都市へと人口は移動している。地方との生活水準に開きがあるからだ。仕事を求めて都会に集まって行くと言うことは世界中の傾向である。

 今のままで良いのであれば、今いるところに暮らしていることが出来る。石垣島に暮らしてみてよく分かったことは、石垣島で暮らすことが出来るのであれば、これほど素晴らしい場所はないと言うことだ。ここに暮らすことで命が延びると思う。

 私が70歳に成って石垣島に来たのは、死ぬまでのこの後の生活は大丈夫だと分かったからだ。農業も止めるつもりできた。絵だけを描いて暮らそうと思った。しかし、のぼたん農園をやることになり、収入にはならないが、過去無いほど充実して暮らしている。

 その意味で、若い頃移住した人はすごい人ばかりだ。良くやり抜いたものだと思う人ばかりだ。仕事の選択がほとんど無い石垣島で生計を立てることは、想像するに至難の業であっただろうと思う。今現在の石垣島では人手不足である。仕事は在るが、仕事が観光関連に限られる。ホテル建設なども含めてのことだが。

 次の社会は停滞社会である。経済成長がない中で、人生の充実を探さなければならない。自分の暮らしが良くなるから成功したというのではなく、暮らしはそのままであって、自分の内的な充実を図る暮らしであろう。自分なりの生きる目的を見付けて、充実して生きる事が大切に成る。

 都市生活者だけになって、世代が変る頃にその国は停滞に入る。都市生活だけでは人間に大事なものが、失われてしまうような気がする。都市に暮らすとしても、農業はやった方が良い。自然の中に生きる。これは人間の大切な物を育てていると思う。

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