日本が高度成長した理由
2025/08/26
日本は敗戦から立ち直りながら、世界第2位の経済規模の国になるまでの高度成長をしたことがある。今停滞に落ち込んで居る。しかも、同盟国アメリカの関税攻撃を受けて、さらに深刻な停滞が予測される。世界が一国主義的な傾向を強めるとすれば、日本の停滞は続いて行くことになるのだろう。
敗戦して、どん底に落ち込んだ。食べるものもない。身寄りの無い浮浪児が路上生活をしている。外地からの引き揚げ者は帰る場所もない。アメリカから、本来であれば捨てられるような食糧を援助されて、かろうじて生き残った。あの不味いと言われたミルクとコッペパンは少しも不味くは無かった。
アメリカ嫌いであるが、この恩は忘れては成らないと思う。アメリカは日本が2度と戦争をしないように、平和憲法を作りある意味押しつけたのだろう。このことにも感謝をしている。そのことが軍事費を抑えて、日本経済が高度成長を続けた要因でもある。
何故日本はどん底から高度成長を遂げることが出来たのかを考えてみたい。今日本は30年の停滞に入ったと言う認識に至った。まずはこの今がひどい状態だと言うことを、30年間把握できないで進んできた。アベノミクスは成功していると、内閣府の広報には記載されていた。日本を停滞に追い込んだ張本人が国葬された国。
80年前敗戦で、日本の封建的社会が崩壊した。しかし、その崩壊した社会だからこそ、社会の底辺に固定されていた、極貧の家の小せがれでも、頑張って働けば、一家をなせる夢が持てた。それが敗戦の結果だった。敗戦で大多数の人が裸一貫という同じスタートラインに着いた。要するに当人が敗戦で腰が抜けてさえいなければ、希望が見えたのだ。
アメリカは共産主義に対して極端な恐怖心を持っていた。日本が疲弊したままであれば、共産化するかもしれない。日本を共産化の防波堤にするためには、経済が立ち直るほか無いと考えた。そして、日本の封建制を徹底してぶっ壊した。財閥解体、農地解放。自由選挙。平和憲法の制定。
戦後の混沌の中から、創業し世界企業を創設した人たちが、それこそ雨後の竹の子のように現われたのだ。その理由は明白である。失う物がない人達が、創業者となり、挑戦的精神で、武力で敗れた日本から、経済での勝利を目指して、死に物狂いで、働くことが出来たのだ。
その背景には、欧米のアジアに対する差別主義に負けては成らないという思いもあったのだと思う。白人社会には黄色人種に対する、根強い差別がある。この白人社会の差別が、明治帝国主義が、大東亜共栄圏の思想につながっていったのだと思う。ある意味人種差別に負けて成る物かという根性のような物が、日本を軍国主義に進めた。
必要以上に日本文化を誇り、武士道などとそもそも存在していない精神主義を掲げる国になってしまった。大きな心で、欧米何する物ぞとは構えていられなかった日本。欧米人の人種差別は、今も少しも無くならない。トランプのアメリカファーストも根底には白人主義が感じられる。
差別される側は言われなき、人種差別に耐えかねない。つい歴史も文化も無い、成金国家アメリカなどと蔑みたくなる。それが今、日本人ファーストという訳の分からない主張が日本の若者達に共感された理由だ。日本では無く、あくまで日本「人」なのだ。卑屈な空気を感じざる得ない。
日本国をどうするのかでは無く、自分をどうにかしてくれと言う、受け身で、被害者意識がにじんでいる日本人ファースである。被害者意識の中にいる人間が、新しい高度成長を生み出せるわけが無い。豊かさを経験した日本人には捨て身の生き方は出来ない。
能力主義という、新たな封建性が社会に芽生えている。能力によって階層化された社会だから、這い上がる活力が生まれてこない。敗戦後の社会は自分がもがく以外に生きることすら出来ない。力の無い政府は国民をどうにかする能力が無い。社会保障どころでは無く、飢餓で死んで行く人が溢れていても、手を打つことすら出来ない社会。
助けてくれと人頼みに叫んでいる社会では、何も新しい物は出てこない。日本が戦後復興できた理由は、封建社会が崩壊し、誰もが平等になり、頑張れば可能性があると思えたことにある。今は能力差別が徹底して、上級国民が富裕層になることが当然になりつつある。
戦後社会で、何としても再生するぞと言う思いが実現された理由は、日本人の90%が百姓であったためだ。社会が崩壊したときに、社会に依存していた武士は腰が抜けて終った。自力で生きてきた百姓は、良し自分の肉体で頑張って働こうと考えることが出来た。
肉体労働をいとわない日本の百姓の技術レベルが、極めて高かった。江戸時代の循環型社会の中で、徹底した技術革新が進み、手入れの農業技術が完成していた。特に稲作の技術は世界一の物であった。その手入れの技術の背景にあったものが、観察能力の高さである。イネを「見る」ことが出来た。
観察して、今何をすれば良いのかを、理解する能力があった。それは地域社会ごとに農業技術の革新が計られ、切磋琢磨していた。そして、その観察から生み出される技術が伝承され磨かれ画期的な物にまで育っていた。つまり百姓の「見る」能力の高さが、様々な産業を生み出す「見る」につながった。
ところが、戦後社会では百姓は居なくなった。先日台湾で百姓に会って、つくづくと思い知った。欧米のプランテーション農業をよしとして、日本に西欧の農業技術を取り入れることに躍起となり、農業に一番必要な、百姓力が尊重されず、育つことが無かった。
そして、百姓は老齢化して、今や本物の百姓は人間国宝にしてされるほど少なくなった。しかも、人間国宝どころか、百姓は無用の人として評価もされない。百姓技術が表彰されるようなことが無い。百姓の文化で文化勲章を貰う人も居ない。評価されないまま消えていった。
今の社会状況は、農業労働者も外国人労働者の受け入れだ。つまり、日本の自然など知らない人でも、言われたように働く労働者であれば事足りる農業なのだ。手入れで作る、観察に基づく日々の祈りを込めた作業など、必要の無い技術に劣化してしまった。百姓が新しく現われない。日本から百姓は消えた。
日本人のたぐいまれな発想力、工夫力、これが無い社会である。むしろそういうものなど無い、従って働いてくれるだけの労働者であれば良いことになった。当然のことながら新しい製品が生まれる可能性も低くなった。また、様々な分野で、まさかと思えるような、見落としやら、手抜きが起きるようになっている。団塊の世代が一線を退くことで、人間の劣化が起きているとせざる得ない。
この劣化してきた日本はどうすれば良いかである。難しいことでは無い。もう一度百姓から始めれば良い。子供の教育に作務教育を取り入れることだ。「みる」能力を高めること。見る、視る、診る、観る。みるでも様々である。ただ目に映るもみるであるが、観察するみるは、世界をみるという能力である。
日本の学校では今でも子供達が、自分が学ぶ教室の掃除をしている。これは作務教育で重要な教育だ。しかし、残念なことに農業実習は無い。学校林の管理や学校田んぼの管理など、生産活動を教育として行っている義務教育は無い。ここを変えることだ。