日本が行った棄民
2025/04/24

明治帝国主義は棄民を行った。戦後民主主義も棄民を行った。これは忘れてはならない日本の統治者の行った暗黒の歴史である。先日、「移民 棄民 遺民 」国と国の境界線に立つ人々 安田 峰俊 (著)という本を見つけて購入した。てっきり日本政府の行った悪行を書いたものかと間違って購入した。
この本は日本に暮らす海外から来た人たちの話だったのだ。ベトナム難民、ウイグル難民、朝鮮人などの話だった。よく取材されていて、興味深いものではあったのだが、日本政府が行った棄民のことに触れていないのは残念なことだと思って読んだ。
国家権力がそこに暮らす住民を捨ててしまう行為ほど悲惨なものはないだろう。育児放棄する親のような犯罪行為である。日本政府はそういう犯罪行為を2度行った。最初は明治帝国主義時代の軍事族増強に伴う農村の疲弊。2回目は敗戦後の国家再建の最中に行った。
その民族が暮らしていた国家がおかしくなり、脱出をした人たちの問題も重大なことだとは思うが、国がもう入りきらないから、人を捨てるという国家の恐ろしさを私は強く思うのだ。北朝鮮は問題国家ではある。出稼ぎロシア軍人派遣などひどいものだ。それでも国民を捨てるということはない。
なぜ、日本政府は国民を棄民したのだろうか。労働力不足に今になっていると、国が国民を捨てた愚かさが身に染みる。捨てられた人たちが、日本に戻り働いてくれた。目先の現状に追われたために、歴史的に未来を展望できなかったということなのだろう。
一般的に「棄民」が問題となる 局面としては,貧困,病気,災害,飢饉,戦 争といった生存が危ぶまれる非常事態がある。所が日本政府の行った棄民はそうではないのだ。日本という国家経営の目先のための都合だけの棄民なのだ。日本人の悪い側面が現われている。
政府が棄民先を探して奨励したものなのだ。日本政府が行っている外国人労働者の一時的利用にもその思想が見える。人間をものとしてみている。国家運営の合理性のためには、人間一人一人に、出自の国家があり、そこでの暮らしがあるというようなことが、ないがしろにされている。
出稼ぎで仕送りできるのだからそれでいいだろう。というような経済感覚が薄汚さが根底にある。外国人労働者は技能研修生と不思議な命名で呼ばれる。移民ではないのだ。期限が来たらお帰り願う前提を、技能研修と呼ぶ汚さが見え見えではないか。
元気で働けるときだけ労働力として利用できれば儲けものだ。という打算に満ちた考えが見える。老後のことや教育のことなど、日本政府は考えないで済まそうというのだ。アメリカの不法移民利用と同じことではないか。都合が悪くなれば送り返せばいいというひどさがある。
日本政府が行った移民奨励政策は、憲法違反である。食べるものも足りない。働く場もない。だから人減らしをしなければならない。どこか受け入れてくれる国があれば、そこに行ってもらおうという考えなのだろう。これは憲法違反ではないか。日本人としての人権をないがしろにしていないか。
本来日本人が食べるものがないことをなんとかするのが、政府の役割であろう。それができないとしても、ないものを分け合うべきであって、日本人を減らしてつじつまを合わせるなどもってのほかだ。冷静に考えれば、日本人は自給できたのだ。人間を放棄するとはひどすぎる。
海外で開拓すれば広大な農地が自分のものになると、夢のような話を日本政府が宣伝したのだ。政府に知恵が足りないと悲惨なことになる。私は自給自足に化石燃料を使わないで挑戦した。人間一人100坪で生きれることを身をもって証明した。
人間は100坪の土地があれば自給できる。これは40年間私が実践の中で、確認したことだ。2畝で米作りをする。1畝で野菜を作る。機械を使わず自然農業で行う自給だ。これで一日2時間働けばなんとかなる。つまり、国民を捨てなくとも共に生きることは可能だったのだ。日本列島には8千万人が暮らせるだけの農地はある。
その工夫をせずに、なぜ国民を捨てたのかと思うのだ。そこには家族主義という封建制度があるのではないか。笹村家を守るためには、長男が相続して、次男以下は外に出て行く。次男以下には100坪の土地も分け与えない。そうしなければ一家の繁栄はない。
この日本の伝統的思想が日本の棄民の原因になったのではないか。貧しくとも分け合って暮らそうという考えがなかったのだ。悲しい日本の家族制度である。その残存が今もある。夫婦別姓制度を認めない自民党の思想に尻尾が見える。
もう家族制度など捨てていいのだ。人間は一人一人で生きている。国家がどうでもいいとは思わないが、まず一人一人が生きるということが大切にされなくてはならない。今もう一度そのことを考えてみなければならないときが来ている。
国家に棄民された人たちが、世界をさまよい歩いている。そして豊かな国に流れ着き「移民 棄民 遺民 」されているのだ。豊かなはずの先進経済国と呼ばれる国が、経済戦争に突入した。強い国アメリカが関税で、気に入らない弱い国を締め付けようとしている。
崩壊する国々から流出する人間は行き場を失う。日本政府と企業の多くが人手不足を補うために外国人労働者を受け入れる方針である。しかし、日本の社会はうまく対応できるだろうか。まだ日本の社会にはその合意形成はない。間に合わせで進めて良いことではないと思う。
令和6年6月末現在の中長期在留者数は、331万1,292人、特別永住者数は、27万7,664人で、これらを合わせた在留外国人数は、358万8,956人となり、前年末(341万992人)に比べ、17万7,964人(5.2%)増加しました。 総人口に占める割合は,2.32 パーセントとなり,過去最高となっている。
石垣島では戦前に台湾人に対する排斥が起きたことがある。水牛やパイナップルなど石垣の農業革命をもたらすことになる。優秀な台湾の人たちは、農業先進地域から来た人だった。むしろ石垣の社会に恩恵をもたらしてくれることになり、今では良い仲間になっている。
石垣島合衆国と呼ばれることがある。生粋の石垣島の人間はむしろ少数派なのだ。様々な地域から移住してきた人で形成されている社会なのだ。7回目の移住で石垣島に来た人間である。生まれは山梨の山村である。外国で暮らしたこともあるが、暮らす場所は人間の幸せに直結すると思う。