AI革命による働き方の変化
2025/04/24

いかがわしい職業というのは、世の中には数々あるわけだが、中でも経営コンサルタント業の人は付き合いにくかった。ある開発事業で一緒に仕事をしたことがある。責任感が薄く、口先だけで適当な情報を語る。一度関わると、なかなか関係を断ち切ることさえ難しかった。
農業コンサルというのも聞いたことがある。それなら農業やれよといいたくなる。馬鹿馬鹿しい世の中である。芸術家コンサルタントというのもあるのかもしれない。なぜこういう分野の人たちが、いやな人になるかといえば、人ごとを仕事にしているからである。やはり自らがリスクを負い、働くことが健全だ。
AIというのはまさにコンサルタントなんだと思う。情報の寄せ集めが出来るのであり、ネット情報に飛びついて農業をする人が、成功できないのと同じである。情報というのは良さげなものに動かされる。情報をどのように理解し、現実の場面で試行錯誤するのは実施するものである。
AI革命進行中である。社会は激変中だ。今回の革命は蒸気機関の登場による産業革命よりも、人間の暮らしを大きく変えるはずだ。産業革命では一次産業から、2次、3次産業へと労働者が移動した。食料は人口の増加が上限であるが、物作りは限度なく拡大されてきた。
AI革命では情報量で勝負をする知能労働者と呼ばれる人たちの淘汰が起こるのだろう。AIに取って代わりいらなくなるはずだ。相当に創造的知能を有するものは力を発揮するだろうが、例えば裁判官などは人工知能に変えたほうがいい。判事や弁護士の能力で判決が変わるのは耐えがたい。東山の金四郎は困る。
法律や前例事案を精査してデーター化してゆく必要はあるが、判決は機械的に判断してもらいたいものだ。行政の許認可業務なども機械任せにした方がいい仕事だ。その方が公平性が保たれるはずだ。現在人間が行っている事務的な仕事の大半は、なくなるのではないだろうか。
AIを使って情報業務や許認可の業務。税務なども自動化するのは、肉体労働と比べてはるかに簡単に違いない。申告されたものを自動的に、問題なし、曖昧。問題ありに振り分けることは、今でもすぐにでも出来るはずだ。賄賂も脱税もぐんと減るはずだ。
後数年すれば、大きな変化が来るだろう。企業は労働者不足といぅっているのだ。人出を減らすための部門を考えざる得ないだろう。人工知能(AI)は、「知識労働者」、つまり、暗記作業を担当する労働者だけでなく、創造性とみなされるものの多くを生み出す労働者の業務を人間から置き換えてゆく。
AIは、多くの知的職業の需要を代替する。まずは賃金を押し下げる。知識中心の仕事を人間から移行し、傑出したスキルを持たない労働者の仕事が失われてゆく。AIツールが誰にでも操作できるものに変わる。仕事はAIを簡単に使える現場の人間へと移行してゆくはずだ。
創造的ではない技能市場の供給過剰が迫っていることを意味している。その結果、現在頭脳労働者と呼ばれる改装の賃金に下落圧力がかかることになる。さらに、肉体労働の賃金が上昇すれば、雇用主はオートメーション化を加速させることになるだろうがこちらが進むのはまだ年限がかかる。
熟練工を必要とする仕事の大半は、依然として自動化されていない。企業が最も多くのロボットを導入しているのは、自動化が容易な大量生産ラインでの作業だけであり、安全のためにロボットを人間から物理的に分離できる環境に限られている。肉体労働分野へのロボット導入は、頭脳労働分野のAI置き換えよりも遙かに困難なことだ。
農業をロボット化するということはスマート農業などと呼ばれ進んではいるが、まだまだ幼稚園レベルである。多分この分野でも日本はかなり遅れている国なのだろうが、まだ実用レベルとは私には思えない。自然というものをAIが完全把握を出来ないわけだ。
全自動農業が可能なような土地や環境は限定的なものだ。食料の自給ということになれば、まだまだ人間を必要としている。今日の天気だって、私の方が、天気予報よりも当たる。情報の処理に加えて、勘による読みが入る。百姓の感覚は意外に馬鹿にならないものだと思う。そんな百姓は絶滅危惧種だが。
自動運転のトラックターなどのように、人の行動に特に制約を付けなくても、一緒に安全に作業できる種類のロボットが開発されてきている。AIと感知センサーの開発や、蓄電池の驚異的な小型化と高機能化で、自立型ロボットの実現を可能にしている。
確かに平らで広い圃場はその方がいいだろう。大規模農業はスマート農業が可能かもしれない。しかし、日本の大半の棚田など、人の手を借りる以外に不可能だろう。こういう悪条件に見える農地が、おいしいお米がとれるし、日本の自然を守る役割も大きい。
結局の問い頃、自律型ロボットが働く大規模農業の環境では、通常より高度な技能を持ち、より高賃金の労働者を少数必要とするということである。自動化の導入については、それをどのようなものにしたらよいか、熟練工の発言権が必要になり、人間の関与はより重要になるだろう。
労働人口の減少は続いてゆく。農業者の平均年齢が70歳である。老化を遅らせることには限界がある。出生率が増加することは考えない方がいい。必ず人口減少が続く。一般的にいって、もし労働力削減の技術が雇用を失わせるのであるならば、失業率はすべての近代史において上昇し続けているはずだが、そんなことは起きていない。
結局の所AIとロボットの社会になるのだろうが、底での人間がどのように生きるのかは、全く今と変わらないということだろう。好きなことを見つけて、それを全力で行う。好きなことを行いやすい社会にはなる。これが人間が生きる喜びを深くしてくれる。これだけは変わることがない。
農業で働くということは経営のために働くわけではない。絵を描くのは絵を描くことを職業にするためではない。田んぼをやることが好きだからである。絵を描くことが好きだからである。好きなことをやるのに監督や指導者はいらない。好きにやるのが一番である。
好きなことを好きなだけやって暮らせない社会の方がおかしいと思っている。人間をもっと信じるべきだと思う。人間はそれほどくだらないものではない。本来の人間は人のために働くことに一番喜びがあるものだ。利己的に金儲けに翻弄されるのは、拝金主義にゆがめられた人間だ。