水牛牧場の計画

水牛を飼うことになったのは2021年の6月である。そろそろ5年になる。石垣島で水牛を飼っている3人で、のぼたん農園で水牛牧場を計画している。福仲先生と嶋田さんと私である。この計画には水牛による農業経験のある干川さんや与那国馬を飼われている清水さんも興味を持ってくれている。
14日に水牛勉強会を行った。8名の参加でアジアの家畜の読書会を行い、水牛の知識を深めた。楽しい勉強会だったと思う。知らなかったことをいくつも教えて貰うことが出来た。水牛が何時までも飼えるように水牛の家畜としての利用法を考えることになった。
一番面白かったアイデアは、水牛占いであった。水牛は嘗めて愛想を振りまく。しかし誰でもと言うわけではない。嘗めて貰えた人はシールが貰えるというのはどうだろうか。水牛の記憶力の良さを発揮して貰い、二度目に来ると態度が違うと言うことを感動して貰いたい。勉強会では次回は鼻紐の付け替えの実践を行うことになった。
のぼたん農園には放牧地が2㏊ぐらいある。この面積で7頭の水牛は放牧が出来る。下の方に農地を借りて、放牧地を広げてもう少し水牛が飼えるようにしたい。3人の水牛を合せると15頭の水牛になる。下の方の水田放棄地が借りられることになった。上手く利用できれば、みんなの水牛をここに終結して、共同管理が出来るのでは無いかと言う構想である。
いま石垣島には20頭ぐらい居るのではないか。今年また2頭は生まれる予定である。スイギュウのことをもっと勉強しなければならない。そこでスイギュウの本を3冊見付けた。「アジアの在来家畜写真集」「アジアの在来家畜―家畜の起源と系統史」「熱帯の水牛」この3冊で勉強会をしたいと考えている。
それをまとめて、水牛のパンフレットのようなものを作りたいと考えている。水牛は日本中合せて200頭程度しか居ない。だから水牛の飼い方というような本はない。水牛が飼いたい。興味がある。と言う人が居たとしても、学術論文のようなものがあるだけになる。簡単なものでいいので水牛という動物のことをまとめたいと思う。
そのための勉強会をやることになった。読書会から始めようと言うことで、アジアの在来家畜―家畜の起源と系統史(名古屋大学出版部)の中のスイギュウ2大系統の起源と地域文化を読むことになった。読みながらスイギュウのあれこれをまとめようと考えている。いま思いつくことを羅列してみた。
1,ウシ科にはウシ、ヤギ、ヒツジ、カモシカ、レイヨウ類、スイギュウ。
2,沖縄に居る水牛はアジア水牛でスワンプ型沼沢型水牛である。
3,アフリカ水牛は家畜化できない気の荒い野生種である。
4,インドやスリランカ、ネパール、フィリピンに野生の水牛が居る。
5,家畜水牛は世界に1億8千万頭いる。
6,リバー河川型水牛はインドを中心にヨーロッパで、乳用で飼われる。
7,沼沢型スイギュウは東アジアで使役と肉水牛として飼われている。
8,スイギュウは他の草食家畜よりも多様な草を飼料と出来る。
9,中国にはスイギュウの闘牛もある。
10,寿命は野生下で20年前後、飼育下では過去に50年 の事例。
11,体温調整・肌を乾燥から守る・寄生虫対策などで泥を浴びる。
12,水牛の角は三線の爪や印鑑に使われている。
13,スイギュウ1頭は3000㎡の草地で放牧できる。
14,スイギュウの歯は下顎にしかない。
15,南米に水牛は広がってきている。
16,自分の糞尿の混ざった泥水を飲料水とする。
17,ウシよりも強健で、病気に強く飼育をしやすい。
18,純粋な野生のアジア水牛の数は500頭程度である。
19,1万年前からインドで家畜化された。
すでに本を読んでいる内に間違っていたことが、いくつもある。訂正しながらこれを増やして進める。
石垣島の水牛は使役水牛である。農耕水牛だったのだが、今は観光用に水牛車を引いている。日本には、沖縄と北海道と千葉で水牛を飼育している。全体で10箇所ぐらいはあるらしい。その他ペット的に少数が飼われているものも数頭は居るらしい。すべて合せても200頭前後ということになるのではないだろうか。
- 沖縄本島の中部、うるま市にある「ビオスの丘」
- 瀬底水牛車ランド
- 沖縄本島の北部にある「備瀬のフクギ並木周辺」
- 「竹富島」水牛車 35頭
- 西表島から約500mほど離れた場所にある「由布島」50頭
このほか北海道には水牛牧場が3箇所ある。湖水地方牧場
、北海道箱根牧場、フィットアビオ北海道。クルックフィールド箱根牧場。各牧場に20頭前後が居るらしい。
、北海道箱根牧場、フィットアビオ北海道。クルックフィールド箱根牧場。各牧場に20頭前後が居るらしい。
以上が現在調べた結果である。
水牛の輸出入は口蹄疫のために制限されている。ヨーロッパやアジア全体から輸入することは出来ない。現在日本に居る水牛を健全に飼育して行くのはかなり困難と思わなければならない。どこかで繁殖が難しくなりかねないのではないだろうか。