賭博場解禁法案が
賭博場解禁法案がいよいよ国会で強行採決されそうだ。この法案の狙いは、日本人骨抜きにするための法案である。日本人がギャンブルを楽しむようになるための法案である。そしてできれば依存症になり、政治になど関心のない人間にするための法案である。社会がおかしくなっている分、麻薬的な息抜きが必要という事である。日常の憂さをカジノで息抜きをさせようという苦肉の策なのだ。日本の社会が格差社会になる。下層に位置づけらた人の不満が蓄積する可能性がある。そこで社会的な息抜きを作らなければならない。青少年のゲーム三昧も悪いことではないという事になる訳だ。一部の優秀な人材が育てば、後はカジノやゲームをしていて、不満を口にしないような人間であればいいというのだろう。人間から牙を奪う事になる。独裁政権としては必要な社会コントロール法なのだ。政治への関心が無くなれば、政府は勝手なことができる。麻生氏は新聞を読まないものは、自民党支持者だとお茶らけたが。まったく冗談にもならない。それなら産経新聞の読者はだれを支持しているのだろうか。そうかあれは、新聞の名にも値しない右翼広報誌か。
最近ひどいことが起きすぎる。何故、カジノを日本の社会に持ち込まなければならないのか。理由が全く理解できない。カジノが活発化すれば、景気が良くなるという。騙されてはいけない。そんな馬鹿なことがある訳がない。カジノの経営者が儲かるという事だろう。カジノの経営者は外国資本か。そういえばトランプもその一人か。アメリカに貢ぐためのシステムそのものではないか。さすが、お友達政治の安倍晋三である。トランプアメリカを忖度しているのだろう。カジノでお金の周りが良くなったと言っても、虚業である。実業とは違うのだ。それなら暴力団が日本の景気を良くしてくれるから、合法化すべきだともいえるだろう。経済はお金が回ればいいという事ではないのだ。しっかりした実業として、生産を上げるものを活発化しなければならない。娯楽の効用がないとは言わない。しかし、依存症になるような娯楽を政府が奨励するなどとんでもない亡国政府だ。
カジノぐらいどうでもいいだろう。大したことではない。たまにはカジノに行ってみたいくらいだ。きれいごとばかり言うなと。そういう、日本人の方が多そうなことは分かる。賭博好きがまともではないとは言わない。賭博をやっても依存症にならない人がいることもわかる。人間それで当たり前だと思う。しかし、何にでも行き過ぎという事はある。日本はすでに、パチンコ屋が住宅地まで進出している賭博に関して異常な国なのだ。パチンコ屋の実態は十分に賭博場である。身内にパチンコ依存で人間失格になったものがいるので、その怖さを十分に知っている。私は依存症になる人間である自覚がある。自身フランスにいた時、ビンゴゲーム依存症になったので、依存症の恐ろしさもわかる。そう簡単なことではないのだ。何でもない人もいるが、一度はまるともう逃げられない泥沼に落ち込む。将棋依存になったこともある。歯止めになったのは、賭けごとを極端に嫌った父親の考え方で止まった。本当に麻薬と同じだ。自分の理性では抑えきれない、悪のパワーがある。
日本には幸いにもカジノはなかった。公営ギャンブルは少し下降気味である。このままやる人が減少して消えてもらいたい。カジノを必要としている自民党と公明党は、カジノの本当の目的を明確にする必要がある。人間には賭博がなぜ必要なのかである。ここを議論せず、景気対策で誤魔化してはならない。カジノがどうしてもやりたいなら、マカオでも行けばいいではないか。ラスベガスでも行けばいいではないか。悪事にはそのくらいの距離感がちょうどよい。アベ政権のソフト独裁にはまってはならない。まさにカジノ愚民政治なのだ。アベ政権は次々に日本をダメにしているが、賭博導入はさすがにダメだろう。もう程度を超えた。限界を超えたアベ政権を許している日本人はもう駄目なのだろうか。トランプを支持するアメリカ人が多いいという事も恐ろしい。世界はもう駄目なのだろうか。世界はどこまで転げ落ちれば止まるのだろうか。政府とは別に自分たちの生きる枠を模索しなければならないのだろうか。