箱根駅伝
小田原の新春は箱根駅伝からである。今年は、青山学院が完全優勝である。特に、箱根の山登りをした、神野大地という選手は、名前の通り驚異的であった。あの東洋大の山登りの名選手柏原選手が回峰行の修験者のように見えたとするなら、青学らしい軽やかなサザンの湘南ソングの様な走りであった。何しろ、体重が43キロと言うのだから、今までの山登りは足の筋力だという説を、根底から覆した。全くらくらく楽しげに登ってゆく、青学の神野の走りに、駒大の選手は度肝を抜かれ、調子を崩してブレーキになった。私も高校生の頃は長期理ランナーを目指した。しかし、体重がやはり44キロしかなく、何度も故障になって本当の選手にはなれなかった。今まで、長距離ランナーでこれほど華奢な選手は見た事もなかった。私自身の限界が嘘だったような、間違いであったような、反省の気分になった。限界というものを自分で自分に作っていたという気持ちになった。神野選手はすごい選手だ。
数年前、4区の小田原中継所が箱根から小田原の町なかに移動した。理由は分からないが、小田原の町なかの賑わいにはつながった。正月2日はいつも町中が応援でごった返すほどだ。それはそれでよかったのだが、4区が短くなった分、山登りの5区のウエートが一気に増した。往路優勝するためには、5区の山登りに強い選手がいなければ不可能になった。この区間で5分以上の逆転が当たり前になってきた。東洋大が強くなった一番の原因である。昔は花の2区と言われて、名選手はだいたいこの2区から現れた。それでは今は5区山登りから、世界に通用する選手が出るのかと言えばそうでもない。この点、箱根駅伝とマラソンは別物になってきたと言える。5区を長くした理由の一つが、世界に通用するマラソン選手の育成と言う事があったと言われるからこの点では、成功していない事になる。
世間は市民マラソンブームである。これはオリンピックで優勝すること以上に価値ある事だ。その市民マラソンブームの、一つの刺激に箱根駅伝が成っている。箱根駅伝無用論が毎日新聞に載っていた。全くスポーツを愛した事のない人の意見だ。こういう事を無神経に書く人は本気でスポーツをやった事がない人だ。オリンピックで金メダルを取ると言う事を、ただ一つの価値と考えているのは、ある意味国家スポーツの理念なのだ。東ドイツやソビエトが目指した道だ。日本は今さらそういう所に戻って欲しくない。箱根マラソンの毎年テレビ放映されて、多くの人の目に触れる。若い学生が母校のたすきに青春をかける。こうしたばかばかしいとも思われる事に、熱中することが、生きると言う事の真実である。何もオリンピックに勝つことがすべてではない。学生は勉強すべきだとか、詰まらない事を言う人もいる。人間打ち込めるものを持てるかどうかが良い人生を送れるかだ。その純化されたような姿が走る事にはある。
限界まで走ることは、誰にとっても同じに苦しい。この苦しさを乗り越えようと言う気持ちと力を育てる事は、とても意義のある事になる。何も人との競争だけではない。自分と言うものへの挑戦である。自分の限界というものを知って、その限界を越えようとする。それが生きることの面白さである。箱根駅伝にはその生きる原点の魅力があふれている。今後の課題は女子の部を併設することだ。同時開催で全く問題がない。朝6時スタートの2時間ぐらい先に女子がスタートすればいい。女性が活躍する社会を作るためには、こういう所からだろう。当面は箱根までの片道コースにするとか、中継地点を倍にして、一人10キロにするというのもある。箱根駅伝も100年が近付いている。100年を前にして、男女同時開催を行う事が箱根駅伝の新しい時代の意義の確認になる。