盲導犬、傷害事件

   

下田 中盤全紙

盲導犬が刺されると言う、痛ましい事件が起きた。ラブラドルの8歳の雄だそうだ。こんな信じがたい事件が起こる世の中に成った。悲しい衝撃に包まれる。小学生の時から、ラブラドルを飼った。当時としては珍しい犬だった。その犬がラブラドルとは知らないで、空き地に出ていた瀬戸物屋さんからもらった。東京の三軒茶屋に仲店商店街と呼ばれている闇市の様な通りがある。その裏に空き地があった。三軒茶屋劇場という映画館の隣で、それは汚い猥雑な空間があった。空き地の半分位をごみ置き場が占めており、生ごみが山の様に積み上げられていた。その生ごみを豚やさんが漁りに来ているという、中国でも今の時代見れなくなった様な、すさましい場所だった。その空き地には、ガマの油売りとか、偽の毛織物の反物屋とか、猿回しも来た。一筆書きの龍の絵を描く人もきた。合気道の達人もみた。計算の驚異的な方法の、インチキ種本屋もいた。その空き地には瀬戸物屋さんも回ってきた。瀬戸物屋さんの周りに遊んでいる黒い子犬がいた。瀬戸物屋さんには柴犬の雑種が居て、それにくっついて歩いている。

その黒い小犬にパンの耳を与えて、家まで連れてきてしまった。野良犬の子犬だとばかり思ったのだ。そして、すぐに紐を付けて散歩をして歩いていたら、それはうちの犬だと、瀬戸物屋さんに言われた。びっくりして返そうとしたのだが、又もらってくるから、その犬はお前さんに上げると言われた。のら犬の様な黒い犬なので「ノラクロ」と名ずけて、それ以来、その犬は友人だった。これほど頭のいい犬はみたことがない。自慢ではなく、犬のレベルではなかった。言葉の理解度が際だっていた。人が出かけるとなると、脱走してしまい、5mほど離れていて捕まらなかった。人間のことがすべてがお見通しと言う感じの犬だった。クロが大人になって、犬の図鑑を見ていたら、何とこの犬はラブラドルリトリバーと言うアメリカの犬種だった。大きくなって始めて分った。私はこの犬から生きる倫理の様なものを学んだ。信頼、正直、愛情、誠実。そういう点では犬に勝る生きものはないと言うことをクロに教えられた。私のいくらかでもあるまともな所は、クロの教えだと言える。

どうも浦和駅周辺で、盲導犬は刺されたらしい。刺されたときに、全く鳴かなかったというから、さすがに偉いものだ。そしてまた、なんとも哀れである。目の悪い飼い主の方のことを考えていて、自分の怪我どころではなかったのだろう。立派すぎて辛くなる。人間はこの愛情にどうして答えられよう。犬と言うのは素晴らしい友人に成り得るものだ。ラブラドル以外にも、秋田犬、柴犬、スピッツの雑種、ブルドック、セッタ―、ピットブル、そしてラブラドルは3頭を飼った。今はブルドックトブルテリアのミックスとセントバーナードを飼っている。どの犬も友人のように付き合ったが、ラブラドルほど飼いやすい犬は他には居ない。頭が良いということもあるが、飼い主のことを常に意識している犬だ。どうすれば飼い主に喜ばれるか、何を望んでいるかということを、推察できる犬種である。もちろん頭が良いだけに、飼い方で全く変わってしまう。これほど飼い主しだいで変わる犬も居ないのではなかろうか。

盲導犬をいじめるなど、人間として最低の行為だ。悲しすぎるだろう。抵抗をしない、何の罪もない生き物を傷つけることは、人間として許されないことだ。盲導犬ほど素晴らしい存在はめったにない。一切自分を捨てて飼い主に尽くす。その任務に誇りを持ち、ひたすら尽くす。盲導犬の立派さは人間には到底真似のできない、崇高な行為だ。刺した人間には、少しでもそのことを想像できるだろうか。何があっても抵抗すらしない、任務中の盲導犬の健気さが、少しでも想像ができるか。その犬をいじめる行為は最低の卑劣な行為だ、と言うことを自覚してもらいたい。もし少しでも人間の心があるならば、この盲導犬に心より謝ってもらいたい。二度とこういうことはしないと謝れば、きっと盲導犬は許してくれるはずだ。

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