農業委員会とは

   

雲海のアルプス 10号 

日本農業の問題の一つに農業委員会のことがある。地域農業の方向性を打ち出せない組織に成っている。大雑把にいえば、農業委員は慣例で地域の有力者が成る名誉職のような側面がある。月に3万円くらいの手当てがあるはずだ。本当に農業委員の仕事に取り組めば、3万円で出来るような仕事の範囲ではないし、行政が同じ役割を行えば、数倍の経費が必要となる。一般に、前例主義に成り、大きな農業改革を発案するようなことは、ありえない仕組みとなっている。地域にとってはそれほど大した問題とは捉えられていないのだろう。小田原では行政が農業特区による改革を提案し、農業委員会がそれに反対するということがあった。日本の農業の問題が議論されるときには、必ず、農業委員会の農地転用の許認可権が問題にされる。農地法では重要な位置づけである。新規就農者の認定なども、農業委員会の恣意的な結論に成りやすい。私が山北町の農業者という立場で、隣町の小田原に住所を引っ越した。ところが小田原の農業委員会煮農業者としての登録をしようとしたら、拒絶された。理由を聞きにいったらば、何と農業者は引っ越しなどしないということであった。

そこで、神奈川県の農業会議というところに出向き、小田原ですでに農業を行っている事実があると、苦情を申請したところ、人権侵害に当たる可能性があるということで、小田原市の農業委員会に対して、意見を出してくれた。このように、農業委員会には、市町村の壁がある。その壁は人を見るというような、古いしきたりのようなものを重視しているところがいまだに残っている。しかも、農業自体が、衰退の過程の中で、かろうじて維持している。その結果都市近郊では、農地を財産として管理して行こうという意識が強くなる。となれば、農地を農地としてではなく、土木作業場や資材置き場、駐車場などに、運用している事例の判断は、昔からの人間関係が配慮され、重視される。もちろん地域での和を重んじることに成る。新規就農の申請の時に、1っぽん持って挨拶に行かなければ、地域の農業委員の推薦がもらえないなどと言われる。又、ヘタに動きを起こせば寝た子を起こすことになるので、見て見ぬ振りがお互いの為の大人の対応ということに成る。すべてはその背景にある、農地法の現実離れした実情がある。

農業委員会は、教育委員会と同じことで、形式的民主主義が改革を阻んでいる。農業委員会改革をするとすれば、先ず農地法を次の時代の農業を導き出すものに変えて、その上で農業委員会の役割を決める必要がある。農地法は、旧小作農を守るための法律精神で出来ている。農地解放で農地がそれまでの小作人に割り振られた。日本ではすぐに小作人の農業が行き詰るだろうと考える意見が多かった。農家経営をしてゆく能力がないとみられていた。そのために、農業委員会は農地の縛りを監視の下に置くことで、地域ぐるみで農業全体を守る組織となった。新規参入の調整。企業的農業の制限。農地の転用の監視。しかし、農業全体が衰退し、全体の産業の中での位置づけが変わってきた。そうした農業委員会の役割が、後ろ向きに作用することが目立つようになる。

農業委員は地域農業の方向を示す必要がある。こうやれば、農業で生活ができるという形を示せる人でなければ困る。農業で生計を立てて来た経験のある人が望ましい。そういう人は70過ぎても現役農家で、忙しくて農業委員どころではないと言えるかもしれないが。少なく専業農業者の代弁が出来る人であってほしい。現状を踏まえ、将来どういう農業の地域して行くかを提案できるような組織に成ってほしい。視点を変えれば小田原の農業は可能性に満ちている。都市近郊で、温暖で、風光明美。この条件を生かして、次の時代の農業を提案できるはずだ。そうした転換を促すために、農地法が制限に成っている。全国一律の法律ではなく、地域を区域分けし、都市近郊には近郊にふさわしい農業が出来るような法律改正をしてもらいたい。

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