甘利経済再生相へ電力9社献金
庭の眺め 10号 キューイの棚である。私の絵は、中心が強くなる。明暗で強くなることもあれば、色の対比のこともある。この絵は周辺がぼやけている。
朝日新聞が「甘利経済再生相のパーティー券・電力9社覆面購入」というスクープ報道である。もし事実であれば、大臣を辞任しなければならない内容のことだ。ところがどういうことか、すでに忘れ去られようとしている。政治献金規制法での20万円以下の寄付は公表しないでいいという、抜け道を利用して、電力会社が献金している事実を、見えない形で取りまとめて行ってきた。甘利氏が電力会社を所管する経済産業相に就いた06年、電力9社は1回あたり約100万円分のパーティー券を分担購入していたということだ。電力会社は電気料金から、得た収入を、担当大臣に向けて献金しているのだ。一番悪質な献金事例である。許認可権者がこれを貰うのでは、原発の再稼働も当然のことになる。まともな神経の人なら、こういう関係会社には献金のお願いには行かないのがまともな政治家である。李下に冠を正さずということだろう。甘利氏だけあって、実にわきが甘い。この人は様々な業界から、献金をもらい集めるので有名らしい。全国貸金業政治連盟、パチンコメーカー、トラック業界の政治団体、等から集めている。
靖国神社に参拝する議員連盟の一人でもある。甘利氏のことを調べてゆくと、日本の政治の暗黒部分が透けてくるようで、少々不気味である。この人は高市氏の前の自民党の政調会長である。ある意味今の自民党的世界の要に居る人らしい。原発事故以降は電力会社からはもらえないというのが普通の神経ではないか。経営に苦しむ会社からのむさぼりである。しかも、公共的事業である電力料金のお金が献金に成る。20万円以下の献金にして見えなくしてきたというのが実に厭らしい。こういう輩が出るから、政治が腐る。税金から政治活動費を出している意味がない。甘利氏はいわゆる商工族の大物議員でエネルギー政策に強い影響を持っている。89年に旧通商産業政務次官に就任した時から始まったとみていい。「次世代を担う商工族議員に育てようと旧通産省がまず目をつけ、資源エネルギー庁に代わり日本のエネルギー政策を実質的に牛耳っていた東電が、旧通産省・エネ庁官僚と歩調を合わせて、囲い込みを始めた」と書かれている。
そもそもなぜ政治献金にまで、電力料金に上乗せされなければならないのか。許しがたいことである。その昔市川房江さんが電力会社の政治献金を追及して、一円不払い運動というものを展開した。今回の事件は原発の再稼働や、電力会社の独占を崩されないための献金ということだろう。電力会社は絶対に利益が出る仕組みに成っている。どれほどずさんな経営を行おうが、原発地域の周辺対策にどれほどのお金をつぎ込もうが、かかった経費から、逆算して電気料金が割り出されている。こんな電気会社に都合の良い仕組みが許されるだろうか。会計検査院の検査のない、官庁のようなものだ。特殊な経済構造の上に、胡坐をかき続けた企業だ。その電力会社が見えない形で政治献金を、関係閣僚にしていたということは、国会で追及されなければならない。法に触れないから許されるという問題ではない。政治家の倫理として、あってはならない献金である。ところが、甘利氏の弁明は、問題がない、どこの企業でも同じである。そのことで政策が変わるようなことはないと、記者会見した。確かにこの人は、以前から原発推進で、献金を貰って来たのだ。そして主張も変わらない。
電力会社は政治献金の禁止である。そして、20万円の裏にある、見えない接待を暴くべきだ。電力会社による報道関係者や、政治家への接待の凄さは想像を絶するもののようだ。こうしたあくどいやり方で、政治家や報道を言い成りにさせ、現在も電力会社の独占解体を止めている。たぶん一切の政治献金を公表すべきというところが、甘利大臣の追及をできないところだろう。どこの政党に寄付をした。ということが公に成ることを嫌う人もいるはずである。少数者が圧迫される恐れがある。支持政党で、差別を受ける可能性もある。たしかに本質的には政治献金は、20万円などという枠を設けず、一切を公表すべきだ。しかし、共産党などは反対をしたはずだ。だからと言って、追及の手をゆるめてはならない。差別されても、自分の政治的立場を主張できるようでなければ社会は変わらない。