TTP論の山下一仁氏
北海道 糠平湖 10号 水没した湖である。誰も人のいない、静かな水面に映っている林を描いた。
「反TPP論の誤り」「TPPで日本農業はつぶれない。」という記事がある。キャノングローバル研究所の山下氏が書かれている。元農林省の課長だった人である。農業分野では数少ない論客であると思う。私も山下氏の書いたものからずいぶんと教えていただいた。以下は山下氏の示した数字である。ーーー1961年に農地面積は609万haに達した。その後公共事業などで105万haの農地を造成した。農地は714万haあるはずなのに、455万haしかない。現在の全水田面積や農地改革で小作人に開放した面積を上回る260万haの農地が、半分は宅地などに転用され、半分は耕作放棄されて、なくなった。 このような指摘は、整理され分りやすい。山下氏の中心に成る主張は「日本の農業をダメにしたのは、農協」としているようだ。農業がダメだという現状認識はいつもされている。すでにダメと主張している農業が、TTPでつぶれないという主張は少々矛盾している。だからTTPでつぶれないが、農協の主導で日本農業がつぶれるということかと思い読んでみたがそうでもない。日本農業の中で、稲作を別扱いしているのだ。これはNHKなども良く間違っているのだが、「TPPで稲作がつぶれるか。」という論議にすべきなのだ。
主食である稲作を守ることは、国の基盤ある。稲作は瑞穂の国の守るべき習俗でさえある。この問題を正面から議論しない限り、TTPを論ずることは意味がない。こんにゃくの関税と、野菜の関税を比較して議論したところで、農業を語ったことにはならない。日本の稲作は、一部を除けば、中山間地に点在している。つまり稲作は日本の国土を、特に地方の村落を維持し、地域を保全するた仕組みの基盤になってきたのだ。その中山間地の稲作が経済競争という枠組みの中で衰退するに任せるのでは、日本という国が維持できないというのが、自民党の農政であった。この側面は評価すべきである。農協の役割もこの時点では評価すべきことである。確かにJAが金融業を行う必然性はすでにない。農協は本来の日本農業者の組合としての原点に戻るべきなのだ。JAが巨大企業に成り、金融業まで行うということが、農地の資産化に拍車をかけた。農地は資産であり、運用すべきものと成り、アパート経営や、転用しての工業用地化を、行政も税収の増加の為に推進してきたのである。
稲作農業は国の安全保障作物として、又日本人の成立基盤として別扱いすべきものだ。山奥の一枚の棚田であれ、日本人として守る価値がある。それは伝統農業と言っても良い。日本人が日本人とは何かを考えるための重要な意味を持っているのが稲作である。その観点から、資本主義的な産業とは、別の価値観でとらえ、国民共通の価値として、稲作農業を意識すべきである。減反に税金が投入されることなど、現状では全く無意味なことであるが、中山間地の棚田が守られることは、日本人の暮らしにとって、総合的な価値を持っている。当然のごとく経済性がない。しかし国土保全の意味からも守らなくてはならない。そのためには、農地法的の段階から農地の意味をとらえ直す必要がある。1、国際競争に耐えうる稲作の為の地域。2、中山間地の地域を守るための稲作の地域。3、都市近郊の転用圧力を制限すべき農地。この地域分けに基づき、農地法の管理を農業委員会ではなく、第3者機関が中立公正に行えるようにする。
農地は将来に向けて長期にわたり安定させなければ、農業は継続できない。農業への新規参入もあり得ない。そのためには転用による資産化を不可能にしなければならない。都市近郊の稲作農地は、細分化され、大規模化による経済性の向上は期待できない。そして、資産的観点からの転用圧力は一番強い。都市近郊の農地を明確に永続的に農地として固定維持する社会的な合意を形成しなければならない。美しい国とはそういうものだと思う。そして、都市住民による、農地の保全の仕組みを作ることだ。経済性とは別に、生物多様性や、環境保全を中心に考え、都市住民がリクレーションを兼ねて自給的に維持して行く。耕作放棄地については、公的機関が借り上げるなり、買い取るなりして、都市住民が使えるように提供して行く。現在の農家はそうした、都市住民への管理業的な産業化をはかる。