富士山世界文化遺産登録
富士山が世界に認められた。文化遺産として日本人の山というものへの関わり方がある。山梨で生まれ育った。そして今も富士山がすぐ見えるところに暮らしている。確かに富士山は自然遺産というより、文化的な意味の方が強い。日本人の心の中には、いつも富士山がある。そのあり方を世界が評価し、残してゆこうということになったのだから、素晴らしいことになった。これが富士山の環境の保全ということになってゆく契機になってくれればありがたい。フジヤマ・ゲイシャという言葉がある。日本のイメージを表す言葉だ。浮世絵から来たものに違いない。富士見坂。富士見橋。富士見湯。富士山を冠した言葉は山ほどある。富士山の存在は、日本人の心の中にも自然と定着している。もちろんその優雅な形が単純で、一度見たら心に残り忘れることのない存在である。それはたぶん外国の人にとってもそうなのだろうが、何故か日本人の形の原形のようなものになっている。
富士山には一度だけ上ったことがあるが、2泊3日で登った。ゆっくり登るべきだと考え、下からずーと歩いて上リコースは山梨県側の吉田口から登り、静岡側に下って御殿場まで出た。途中で宿泊し、頂上の小屋でも泊まった。せっかくのことだから、よく良く富士山を味わいたいと思った。しかし、登ってみると、高いことは高いがもう一つ魅力に欠ける山であった。やはり富士山は眺める山である。絵には何度も書いたことがある。特に三津浜から見る富士は良く描く。三保の松原からより、だいぶ面白い。いずれ、富士山と足柄平野でもいいのだが、富士山が見えるというだけで景色が面白くなる。つまり、富士山という形はすでに記号化している。記号化しているということは、意味化しているともいえる。めでたいとか。縁起が良いとか。正月とか。神様とか。このあたりが文化としての、富士講のような、日本的な関わり方が成立している。
富士山の絵と言えば葛飾北斎の不額36景が有名である。36枚だけでなく、評判が良かったので追加された10枚を加えて、46枚のシリーズである。半分は水が出てくる。26枚は川や海と富士山である。どの作品も構図的な工夫がすごいのだが、あの富士山の形を生かすためにはすっきりした平面が必要になる。富士山の3角に対して、平面を持たせているのが空であるか、海である。雲のような形を持ちこんでいるものも多い。このあたりのやり方は日本の伝統的な絵巻物の構図から派生しているのだろう。北斎70歳を越えてからの時の作品というから、すごいものである。富士山の絵はその後、富士100景となる。富士山の廻りを歩き回り、描いたというからすごい人である。当時の評判は以外にも良いだけでな買ったらしいから江戸時代の庶民の評価の厳しさというのも、またすごいものがある。もし評判が高いものであれば、100景の方も一枚ものになっていたのだろう。
私が描きたい富士山は浮いている富士である。空の中に表れている富士である。何度も描いてみているが、納得がゆかない。浮き上がった富士というのはいつも見ている富士である。北斎の富士も遠くの富士が多い。江戸から見て居る富士が根元になる。私の場合、もう少し近い富士である。常日頃見ている距離というものがある。畑から見た富士のようなものが描ければと思っている。自分という場所と、富士という方角。こういう意味的なものを載せられるところが富士山の面白いところである。意味的なものを説明としてでなく、画面として持ち込めるところに、日本人と富士山の関係がある。こういう文化的な意味が日本人の中にあったということが残されてゆけばと思う。