橋下慰安婦発言
現職の大阪市長であり、維新の会の代表でもある橋下氏が、戦時下においては、従軍慰安婦が必要だった。日本が特殊だった訳ではないと発言した。最近、人気低下傾向の維新の会に注目を集める作戦のつもりなのだろう。石原氏の持論のようなもので、意気投合した作戦のようだ。二人の発言では、軍隊と売春は不可分のものだ。明日の命もわからないような、荒ぶれた日々の中では、性的な慰安が必要だったということを主張している。その勢いで、この時代の沖縄の海兵隊の、風紀の乱れに話が飛んだ。米軍の司令官に、もっと風俗業を兵隊に使わせろという意見を、主張したというのだ。司令官が凍りついたそうだ。当たり前のことだ。こういうことは公の場では、意見を交わさないのが暗黙の了解である。無神経なやつだと思ったに違いない。今回の暴言事件は2つの側面で批判されなければならない。
まず、女性の人権に対し、配慮が足りない発言ということ。もう一つは、政治家として、中国、韓国がこれだけ日本に対して神経質になっている時期に、何故世界情勢が分からないかということである。橋下氏も、石原氏も、憲法を改定して、軍隊を持つべきだという主張をしている。憲法96条の改定にも賛成している。こういう主張だとすると、国防軍にも従軍風俗業は必要ということにになるのか。逆説的ではあるが、両氏の発言の正しさはあると思う。軍隊というような尋常でない生活の中では、考えられない精神状況の世界が生まれる。まともな社会的なモラルが崩壊する。人を殺すことを受け入れなければならない。普通の人間であれば、人格を崩壊させる可能性がある。アメリカ軍のベトナム帰還兵の問題が深刻な社会問題になった。それはイラク戦戦争でも同じことが起きた。あまり書きたいことではないが、性的な悲惨な事件が起きたことも報告されている。昨日には、アメリカの米軍内で上官が、売春を強制した事件が報道された。
社会には悪所というものは必要である。きれい事だけで社会が出来ているとは、確かに思わない。ダメだっていいじゃん。といういい加減な処が社会には必要だと思う。軍隊という異状下で、しかも自由のない集団生活の中で、そういう悪所的要素が一切ないとしたら、耐えきれず暴発する人間が現れることは、想像できる。だから、従軍慰安婦が現代でも必要だ。ということになりかねない話だ。正しい選択は、軍隊のような人格を崩壊させるようなものを作らないことだ。軍隊が必要悪だから、従軍慰安婦も必要悪だ。こういう論理はおかしい。今後も韓国、中国の、かつての日本軍に強制連行されたとする、従軍慰安婦問題は、日本に対し、事あるごとに蒸し返されるだろう。国内の不満をそらすためにも使われるだろう。日本だけが攻められるのはおかしいという逆襲の主張は、海外では通用しない。そんなことはわかった上で、日本を叩く理由付けにされているのだ。アメリカのいつも使う、人権の正義論と同じである。
今回の発言は、軍隊の持つ悪の本質を白日にさらした、だけのことなのだ。日本は過去を反省し、二度と軍隊を持たない。こういう誓いを世界に発信して、進んで来たのだと思う。それは言葉だけでなく、多くの日本人が本当に反省をしたのだ。反省に基づき行動してきたからこそ、日本が世界に許され、受け入れられ、貿易立国し、経済発展をした。ところが、日本国総理大臣が、憲法を変えて国防軍を持つということを明確に主張し始めている。石原氏に至っては、原爆保有も憲法違反ではないとして、検討して行くべきだとしている。六ヶ所村のプルトニューム生産も、原爆以外に使い道がない状況である。これでは近隣諸国が、過去の日本を思い出し、恐怖を抱くことも当然のことである。村山発言と同様の内容の、小泉発言が存在する。今回明確に、二度と軍隊は持たないと安倍氏に誓ってもらいたい。すでにアメリカからも、安倍政権に対する黄色信号が出てきている。