大衆薬で24人死亡

   

市販の大衆薬で24人が死んだと報道されていた。私の場合は病気になっても薬は飲まない。7月から8月にかけて、ひどい風邪をひいていた。7月から8月にかけて1カ月余り弱っていた。風邪を何故引いたのかには、理由があると思っていたので、風邪を受け入れていた。特別に薬を飲むとか、お医者さんに行くということはしなかった。風邪を本格的に引いたのは、25年ぶりくらいである。山北に移ってから、私自身風邪をひいたという自覚はない。そんないい方をするは、何故かまわりの人は、風邪をひいていると決めつけるという事がある。風邪くらいどういうものかは知っている。少々熱があったからと言って風邪とは限らない。そう言う意味で、今回確かに風邪をひいた。理由はそれなりに納得している。やはり風邪を引く必要があったのだ。一つは、年をとり体質が変化した。免疫力が低下した。体力の下り坂に入ったということだろう。肉体が老年に入ってきた。

もう一つは、3月11日以来のストレスから来た、湿疹がこれで終わる為と考えていた。寝込むほどの風邪をひいて、何故湿疹が終わるのかは、分からないが、考えた通り、その後嘘のように湿疹は出ない。原発事故以来1年半が経ってストレスが薄れてきたのだろう。その最後の山場が、ひどい風邪をひくことだった気がする。そんなこともあるので、風邪をひいたなら、薬でごまかすようなことはせず、それに従った方がいいと考えている。薬を飲み無理やり風邪を治してしまえば、湿疹は治らなかったと思う。こういうことは他の人には、通用しないおかしな考え方だと思う。病気を治そうとして薬を飲み、その為に死んでしまうなど、バカバカしすぎる。どうせなら飲まないで死んだ方がましだと考えてしまう。こういう考えは確率的に言えば、薬を飲んで治る人が、大半なのだからおかしな考えである。私がおかしいのは承知だが、無理をしてもそうしている。

風邪と言っても多種多様である。風邪は万病のもとと言われる。その通りで私はすべてのヤマイは、風邪のような症状になってあらわれると考えている。風邪の状態を判断して、肉体の限界点を自分なりに感じなければだめだろう。風邪にならないにはならないの理由もあり、健康と言う事ではない。風邪は肉体の健康とは別物と言うことなのだが、これは少しわかりにくいことだ。ともかく薬と言うものはいけない。いけないという理由の説明は困難だが、薬での対処は、問題を正面から受け入れていない気がする。その原因がウイルスとか、細菌とかいうことになるのだろうが、その先を考えれば、インフルエンザが流行したからと言って、大多数の人が感染をしないかである。5%の人が感染すれば大変な大流行である。しかし、何故、95%の人が感染しないかが重要である。新しいウイルスであっても感染する人の方が少ないのだ。体内に入ったとしても発病まで行く人は少数派である。

あくまでこれは個人的なことのことだ。風邪にかかったことには、意味があることだったと思う。昆虫で言えば孵化である。身体が生まれ変わるような感じがある。今だ本調子ではないが、徐々に再スタートである。これからは今までとは別ものだと思っている。今までの生きるサイクルはおおよそ、20年区切りで、20歳の金沢に行くまで。40歳で山北に移るまで。61歳で原発事故に出会うまで、そして、これから原発事故後の80歳までをどう生きるのか。その区切りとして、ひどい風邪をひいたと受け止める。これからは体力に任せたようなことは出来ないという忠告。やれることを絞って行くことになる。確かに絵だけ描いていろという言葉も受け止めなければならない。そうか、80の私に手紙を書いてみようか。

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