ウッドフォード元社長と清武巨人元代表

   

この二人の正義の使者のつもりと、当事者意識の欠如に違和感を感じる。自分の中にあるものとの共通点も認識する。報道と言うものは、もめごとが好きだから、根掘り葉掘り取り上げている。ついでに言えば井川元会長という悪役もいた。3人の元を放送しておけば、間が持てるという状態。TPPや原発問題から目をそらせる効果。私自身この類の人間である自覚。物言えば唇寒しで、後悔が多い。黙っていられない性格が災いする。社長や代表や会長ではないので、責任はない立場であリがたい。責任者は批判的なことが言いにくい。3人の人が話しているのを聞いていて、これほど頭のいい人が何故こんなことになるのかと言うことだ。ウッドフォード氏について言えば、オリンパスの社長の時にもう少しうまくやれなかったのか。つまり、自分がオリンパスの社長で不正に気付いた時どうすれば正しい判断か。

現在悪人と位置付けられている、オリンパス元会長菊川氏は、会社の将来のために、若いイギリス人のウッドフォード氏を抜擢する。しかし、過去の不正事件に気づく。不正のことは十分わかっている。どこの会社だって投機を行い莫大な損出は出した。君に期待しているのは、今の会社をより成長させることだ。しかし、会社として不正を公表し、正さないことは犯罪行為だと言いだし、引かない。菊川氏にしてみたら、すべてはオリンパスの為だ。オリンパスの歴史と従業員とその家族の為に、耐え忍んできたのだ。責任者としての意味不明のしがらみの中にいる。金権主義にとりつかれ、大失敗をやらかした。投機になぞ手を出し失敗したやつが悪いのだ。今となっては、墓場の中まで持ってゆく以外道はないのだ。それが会社に対する忠誠だ。ああ、英国人を社長にしたのは失敗だった。事情聴取の中でそう嘆いているだろう。オリンパスを調べているのは日本の警察であり、英国人の社長をFBIが事情聴取を行っている。

清武氏の場合、渡邊読売新聞社会長と言う、悪のキャラクターがすでに存在した。個人が報道機関を支配すると言う最悪の状態を長年続けている。どこの誰が考えてもいかにも日本の報道機関の偏りの象徴のような人間である。政治的な発言も多く、自民党の最右翼勢力と結びついて、読売新聞を報道の正義と批判精神とは無関係なものに仕立てた。商売になれば勝ちと言う、金権主義そのもののような人物である。清武氏は読売新聞記者一筋に来て、東京本社編集局運動部長から、巨人軍の代表になった。渡邊氏がなんたるかは誰よりも熟知していたから、出世もしたし、巨人軍の代表にも抜擢された。もし本当に骨のある人物であるなら、読売で編集委員にはならない気がする。抜け目ない能力はあっても正義を語るタイプではない。渡邊氏の権力の構造を知りながら、あえて噛みついた事には、それなりの計算が存在するはずだ。TPP隠しの茶番劇かと見えた位だ。

井川氏は優秀な人だと感じる。しかし、賭博の暴虐にのみ込まれる。自分の中にもあるから、批判する気持ちはない、むしろ中毒性の病気であると考えた方がいい。投資の損出から始まる。お金と言うものは怖いものである。このように人間を蝕む。幸せになるどころではない。日本と言う社会が一種の金権中毒なのだろう。お金地獄に蠢いている。自分の中にもはまりこんだら抜け出れない弱さがある事を知っているからこそ、賭博的なことは大嫌いである。始めない事が一番簡単な対応策である。3人を見て思うことは、つくづく人間の厄介さである。わが身も変わらず厄介である。社会や会社の問題点なぞは発言せず、黙々と良い仕事をするのがいいことなのか。生きる要領のようなものが欠落しているのか。そんな反省は出来ないタイプである。

 - 身辺雑記