銭湯文化

   

銭湯文化は江戸時代に、まさに江戸的に出来上がったものだろう。今はスーパーセント―が繁盛する時代になった、日本人の銭湯文化はなかなか深いものがある。インドなどではガンジス河で沐浴をする。仏教を通して、こうしたインドの風習のようなものも、伝わった側面もあるのかもしれない。寺院と風呂は少し関係があるようだ。奈良時代には、すでに薬浴のような医療的な意味合いもある、蒸し風呂が登場している。同時に日本のいたるところに存在する温泉の方も、さらに古い神代の時代から利用されていたようだ。ようするに日本人は風呂好きだ。これは四季のある、湿度の高い気候から来ているもあるのかもしれない。いずれにしろ、日本人の清潔志向は、西欧から学んだものでなく、根っから日本的なものである。これは、何も無いところに神性を感じるような、文化的伝統とも関係がある。清清するという感じは、掃き清められ、一切事物が存在しないことである。

江戸時代の銭湯は社交場であり、風俗店であり、健康ランドである。要するに、エネルギーを充てんし、再生する場所であった。もちろん幕府はたびたびの禁止令が出す訳だが、湯女の人気で、吉原が衰退すると言うほどだったらしい。そんな話ではなかった。私の興味があるのは、健康ランドの方だ。常磐ハワイアンセンターが、映画になったり、健気な婦女子の物語に成っている。しかし、関東では船橋ヘルスセンターの方が身近で、インパクトがあった。と言っても一度潮干狩りの町内旅行の際、立ち寄った位だが。今はららぽーとになり、それがデズニーランドにもつながっているのだから、東京湾の埋め立て利権の歴史のようなものだと思えばいい。ついそれるが、健康と温泉がつながるところが、いかにも日本人とお風呂の関係を表している。温泉病院と言うのもある。

銭湯と言えば庶民だ。裃を脱いでの裸の付き合いがいい。今でもその空気は全く変わらない。銭湯で付き合えないような人間にはなりたくない。どこか地方に行けば、その地方の先頭に行くと良い。その地域の人間の空気が感じられる。私には、初めての風呂屋でも何も変わらない。ゆっくり、ゆったり、の―んびり出来る。そうしてエネルギーを再生する。どちらかと言えば、混んでいた方がいい。おんりーゆーでは一人だったことが何度かあるが、決していいものではない。江戸時代の庶民は毎日風呂屋に通う。その空気は1965年ころまでの東京の銭湯にも残っていた。オリンピック前までかもしれない。江戸時代の暮らしを想像できる場所であった。私の家族は誰も銭湯にはゆかなかったが。何故か私だけ一人で良く行った。ようするに子供のころから風呂屋が好きだったのだ。家で風呂に入らないくせに、風呂屋に出掛けた。今思えば不思議なのだが、何故だったのかは分からないが。あの空気が好きだったとしか言えない。

銭湯と健康の話だ。銭湯に行くことで、かろうじて凌いでいる。身体と心のケア―である。それは10年ほど前からだ。50過ぎたころからそうなってきた。肩こりで身体が持たない。これをどうにかしなければということで、酒匂にあった愉快爽快の打たせ湯に行った。夜中に目が覚めてしまうほどの肩こりがなくなった。年齢とともに身体の扱いに注意が必要になった。一日外仕事を続けると、どうしても疲れが残るようになった。そう言えばお風呂屋さんでは、同年代の身体を使う仕事の人が多い。農家のおじさんも結構いる。草刈りで大変だという話は夏の間良く聞いた。キウイや米の話はよく聞こえる。願いは、銭湯に保健センター機能の設置である。会員カードで、身体の記録が残せることである。それだけで、1割客が増えそうだが。

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