農業委員会とは
農業委員会は、戦後できた組織である。アメリカによる農地解放政策とともに、農業分野と地域の民主化のために、作られた組織である。構成する農業委員は選挙で選ばれる。過去小田原で選挙があったかどうかは知らない。知る限りではない。北朝鮮でも選挙は行われて選ばれるのだから、選挙があるからと言って民主的になるとは言えない。農業委員も同じことではないか、私も立候補はできる訳だが、正直そんなことをすれば、つまはじきに合いそうな気がしてしまう。気がしてしまうだけで本当のところは分からないが、多分選挙をやること自体が大きな負担で、バカなことをするなという空気ではないか。先日農協の運営委員会では、選挙になった場合の体制について、説明があった。次は誰にしようかなどという相談は、上部で、この上部というのもそうなのかどうか分からないのだが、あちらの方面で調整が進んでいるようであった。
農業委員をしていただく方は、現実は地域代表ということで、久野地区は誰にお願いするというようなことである。その意味で自治会長に似ている。現在は、久野地域ではお二人いるようだ。石綿敏久さんは有機の里づくり協議会の副代表でもあり、信頼に足る立派な方だ。もう20年もお世話に成っていて、人格高潔、地道な実践、高い農業技術、どこをとっても農業委員に相応しい方だ。何の異論もない。選挙になれば投票するだろう。もうひと方存じ上げている農業委員の方が居るが、見識のあるさすがという人である。地域の知恵のようなもので、そうしたふさわしい方が選ばれる良さがある。形式的選挙制度が、もう農業委員会という仕組みに相応しくないということなのである。農業委員会によって、影響を受けたことが2度ある。一度は山北から、小田原に登録を移動するときの拒否。もう一回は農地を購入するときの再審査。
漏れ聞くところでは、様々な思惑がそこで交差しているようだ。ある意味新しいものにはまず拒否反応が、そこまでは行かないでもためらいがある。先祖伝来の思想である、当然だし必要なことでもある。しかし、農業委員会が法律に基づいた組織であるのだから、やはり公平な運営は必要でもある。ここが難しいことになる。現実には新しいものが、地域の迷惑になる不安は農業分野では大きい。と言って農業委員に調査能力がある訳でもない。農業委員は地域の農業者がなっているのだ。既得権の主張が中心に成るのも当然である。ここが地域の農家からすれば、新しい企業農業の進出を阻止する防波堤になる。今、農業委員会廃止論が出てきているのは、国際競争力を高める論議と、連携している。「企業の農地取得、大規模農家の優遇。」経団連の主張である。朝日新聞は社説でこのことに触れている。
農業委員会だけの問題というより、農協の問題でもある。日本農業全体の問題である。農業の行き先が定かでないのだから、どこを切っても問題がない訳ではない。食糧というものをどう考えるかだ。他の生産物と農業産品を別に考え無ければ解決はない。農業委員会はなるほどというほど日本的組織である。その良いところと、悪いところを合わせ持つ。特に農地の管理ということになると、微妙な阿吽の呼吸というようなもので対応がされていると想像する。ここを、ビジネスライクにしろ、という時代が来たということだろう。南足柄市では退職した行政職員で、地域の中心農家の方に、再雇用という形で、農地情報の収集管理を委託していると伺った。そして、良い橋渡しをしている。だから、南足柄市で農家に成りたいという希望があれば、実践対応がある。