水彩人12回展
11月1日(月)~7日(日)シンワアートミュージアムで水彩人第12回展を開催します。
銀座の新橋寄りの昔、日動画廊のサロンがあったところ。ぎょうせいビルの1階。電話(03-3569-0030)
絵の準備は終わった。3点(中版全紙)を出品する。
写真は出品作の一点である。毎朝散歩に行く、丘からの眺め。
Iさんが訪ねてくれたとき、絵の話になった。最近は絵を書くとき遺言のつもりで描いている。ということになった。「前からそう言っていたが、それにしては毎回絵が違うのが不思議だ。」こう言われた。そういえば、毎日遺言が変わる訳だ。私が生きているというのは、実にそんな程度のことだ。信念があるとか、哲学があるとか、思想があるとか。そういう確固たるものは何もない。ただ、その日暮しである。その日を十二分に暮らそうとしているにすぎない。それは日々変わるようだし。その変わることをいけないとも、困ったとも思っていない。これで行くしかないという、一種のあきらめのようなものだろう。中学生の生意気時代から思えば、全く許せないような奴だが、それがむしろいいというような心境である。
そういう意味では、描く絵もやたら変わると人には見えるだろうが、身の回りのあれこれを描くようになっている。昔は、中国にまで出かけて行って絵を書いてみた。雪舟とか、石涛とか、そういうものに惹かれていた。絵というものの原点というようなことにとても関心があった。もちろん学生の頃は、マチス、ボナール、セザンヌである。それがフランスに勉強に行って、ああ自分とは違う。これがやりたいことではないという事はわかった。いわゆる東洋的というか、絵の内に入るような、精神世界と絵画のつながりに、興味が深まった。何故、雪舟が目に映るものを風景として描いたのか。現実世界と、宗教的世界を、絵画の上でどのように考えたのか。理解できないまま、むしろその先に何か絵というものの意味が存在するような気がした。
そのことこそ、これからやろうということだ。鶏を飼って、田んぼをやって、畑をやって、日日暮らしている。そのことをそのあたりの日常の感覚を、絵にする意味を深めたい。探りたい。内に内に入り込むこと。そうした日びの行いを、水彩人という、物差しに合わせて確認したい。それが私にとっての水彩人である。12回展は原点に戻り、第1回展を開催した場所である。13回展から、水彩人は変わる。水彩連盟を退会させられて、心機一転、水彩画の探究をしてゆきたい。水彩連盟のアクリル画隆盛はやはり水彩を志す者として、敗北であった。水彩というものの素晴らしさを正面から探求する。水彩というものは、水墨とつながる、精神の反映を絵画の表現とする、日本人に、東洋人に適合する素材と思っている。
昨日の自給作業;ハザ掛け2時間 累計時間18時間