への字農法
「への字農法」とは井原豊さんが提唱された稲作法である。稲は尺角植えで、分ゲツは30本以上、茎の太さは鉛筆以上という豪快な稲作である。井原さんは稲作の本をたくさん出されているが、への字農法と命名している。基本の考え方は、稲の初期は大人しく窒素を利かさず、幼穂形成期に穂肥を振る。というようなことだったと思う。私が井原さんの本を最初に読んだのは痛快麦作りであった。今手元にないので正確な名前は忘れたが、痛快とか、びっくりという言葉が好きなようだ。何故そんな名前の本を買ったのかは忘れたが、稲の裏作に麦を作り始めたころに違いない。先日、「井原死すともへの字は死せず」追悼文集をいつもの高橋さんから貸していただいた。有名な農家の皆さんが並んでいる。と言っても、マイナーな世界のマイナーなことではあるが。私が井原さんを本当の意味で知ったのは、「除草剤を使わない稲作り」のホームページである。
この世話人をされている山下さんという方が、なかなか興味深い方である。井原さんのようなタイプの方は、ちょっと苦手で生きていたとしてもお会いしたくない傾向の方である。しかし、山下さんという方を通して、井原さんを知ったので、拒絶反応なく考え方を学ぶことが出来た。そうした学びを通して、理想とする稲の姿というものが、徐々に出来上がっていた。出来るだけ粗植で、茎は1センチくらいあるような逞しさ。株は40近くにも分ゲツをして大きく開いている。そして稲の穂は大きく、豊かに垂れ下がる。籾は一回りは大きく粒張りが充分。穂の軸は太くぐぐっととぐろを巻く。止め葉は幅広く大きく開き、最後までしっかりと緑を保つ。稲刈りの時期になっても根は白く、生き生きとしている。これは結局井原さんのイメージを受け継いだようだ。
稲作は多様である。先日の自農センターの稲作では、全くの反対の姿である。繊細というか、微妙というか、寸分の無駄のない稲作である。これも結局は好みということになるのかもしれない。寒い地方の稲作と、井原さんの岡山での稲作はそもそもが違う。水土の違いが大きすぎる。この水土の違いは、当然人間の違いである。井原さんという人間を作った、岡山の水土。そして松本の高冷地農業の中で培われた、自農センターの技術と人。では、小田原ではと思う。私のような根なし草が、流れ着くことのできた、小田原の水土。井原さんはここまで知らなきゃ損をする。とかいう車の本まで書いている。それで井原さんが得をしたとも思えない。損をしたくなければ農業を早く辞めた方がいい。これが井原さんの逆説。
とことんナショナルであることが、インターナショナルになる。井原さんの極端に個性的な農業技術こそ、他の農家に通用する農法になる。井原さんの考え方は型破りである。独自性にこだわる。意識的にかと思われるように、農業の常識を打ち破ろうとする。それを損をしないとか、痛快とか、言いながら、実証して行く。自分の田んぼで出来たからと言って、よその田んぼでそうなるとは限らない。それをよその田んぼでも、実現できる技術にしようともがく。これは、自農センターとはまるで逆の言い方での、普通の農家がやれる有機農業の提唱でもある。両極があるが故に向こう側の彼岸で合わさる不思議。ところで、小田原の梅の里田んぼの稲は、まさに井原さんの稲の姿を彷彿とする。農の会の目指す方角を示していると思っている。そして、それは以前、海老澤さんが放棄地に稲を植えた時の姿である。こっこ牧場が、坊所で大量の草たい肥を入れた所で起きた稲の姿である。