消毒社会
宮崎の口蹄疫の流行が沈静化した。関係者は大きな苦難を乗り越え、ほっとされていることだろう。テレビでは畜産農家の方が、移動制限解除に伴いインタビュー受けている。しっかりと消毒をして、二度と口蹄疫の流行が起きないように頑張ります。こんな風に言われている場面を何度か見た。消毒は大変だったんだ。ああ違うのに、そう云わされているな。そう感じてしまう。すべては原因究明である。前回のように、中国からの藁が原因だったと特定されれば、周辺を消毒しても始まらない。餌の輸入をどうするかである。もし、人間が感染を広げているとすれば、これも消毒をしても始まらない。消毒は対応として無駄ではないが、受身の方法で次の発生を食い止める策とまでは言えない。今回の口蹄疫対策では、前回の成功した対応の教訓が生かされていない。宮崎県が畜産県である以上、担当官の教育がまず最初ではないか。流行を広げた原因を明確に洗い直してもらいたい。
いよいよ最後の関係家畜の目視検査だそうだ。県内全域の94万頭の検査を行うというから、まず目視検査の精度をいかに上げるか、研修だと考えて見るのもいい。病気を目で見て判断するというのは、とても難しいことである。毎日鶏を見ている。今日の状態はどうかな。お腹は空いているか、水の飲む量はどうか。目の状態はどうか。糞はどうだろう。この見るは重要だし、難しい。ランチュウの頭こぶではないが、幼魚の頭の煙は名人以外には見えない。毎日見ている畜産農家の人が、ちょっと変だと言っているのに見逃す。口蹄疫検査を行っていて、口蹄疫を見逃す。訓練を十分してもらいたい。実は最近犬の病気をわからなかった。頭が何でもない方に引っ張られていて、大丈夫だ、気のせいだ。こう考えようとしていた。可哀そうなことをした。偉そうなことは言えないのはわかっている。
こうして消毒社会が一歩進む。わからないから、消毒をする。誰だって次の発生源になりたくはない、消毒をしておけば少し安心が出来る。しかし、最初の原因は消毒していれば起きなかったというようなことではない。所がこの原因究明も困難なものだろう。しかし、きちっと時系列で情報を整理し、ウイルスの遺伝子レベルの調査を重ねれば、事実に近付ける。しかし疑わしき家畜を、血液の保存もせず埋めてしまった。どこか原因究明をしたくないかのようである。鳥インフルエンザの流行でもサンプルを焼却してしまった例が続発する。経済的損失が頭にあるから、わからないように処理してしまいたくなるのは人情だ。風評被害も必ず起こる。世間に後ろ指も差されたくない心理も働く。その上、極度の疲労状態だろう。未経験の人たちも大量に動員されている。科学的検証を徹底してほしい。
今は次の流行のための準備期間と考えた方がいい。種牛の保存計画を離島などに分散して行う必要がある。離島の産業にしたらいい。天然記念物の鶏がいる県では、保存計画を早急に行う必要がある。人間の経済の都合で、病気でも何でもない種牛を殺さざる得ないような現状を、続けることは良くない。人間がウイルスを保有して、感染を広げた可能性は本当にないのか。この点も検証する必要がある。責任うんぬんではなく、原因不明で終わらせないで、可能性を探るべきだ。そうすれば次の対策が見えてくる。鳥インフルエンザでは、人間が保菌して移動している可能性が高い。疫学的調査の必要性。人間の体の中は消毒はできない。そのうち、心配だからお腹の中を消毒するために、定期的に飲む薬なるものが出てくるのではないか。病気と戦ってはだめだ。うまく折り合いを付けることだ。
昨日の自給作業:畑の整理1時間 累計時間:29時間