松下政経塾

   

松下政経塾で報徳の田嶋さんの所で、田んぼをやらしてもらうという話を伺っていた。有機農業でやられるということだった。田嶋さんからも面倒を見て欲しいといわれていた。どうなるのかと気掛かりであったのだが、今日が田植えである。体験農業ということを、もしかしたら、小学校の芋ほり遠足のようなものと、考えていないか。あるいは自衛隊の体験入隊のようなものと考えていないか。そういう心配をしていた。昨日はその初対面であった。つまり、田植えの前日が初対面というようなことでは、どうにもならない。松下政経塾の担当のUさんには、有機農業で田んぼをやると言う事の、一通りは伝えておいたのだが、連絡のないままだった。Uさんに田植えまでの準備を伺うと、明日田植えをやるので農家の方に代かきを頼んだという。一体、農業の何を体験するつもりなのだろう。心配がふくらんだ。

初対面の政経塾の皆さんは新入生と言う事であった。新入生の平均年齢が、27歳だそうだ。一人ひとり挨拶されたのだが、さすがというか、選挙の応援演説の練習のようであった。好青年ばかりである。農業は日本にとって大切なものだから、今回の体験を生かして行きたい、と言う事を表明されていた。政治家予備軍の皆さんの傾向というモノに接することができたことは収穫である。松下政経塾の作られる田んぼは、報徳小学校の前にある田んぼである。ここ数年は布マルチでやられていた田んぼである。時々寄って見たいと思っている。どんな田んぼになるかが、楽しみである。どこに松下政経塾というのはあるのか伺った。辻堂だという。水廻りが心配だったのだ。毎日辻堂から通えるのだろうか。そう思って聞いた。話がづれる。考えてもいないようだった。田んぼが好きになって、本気になれば、日に三度は見たくなるものである。そういう感じを知って欲しいのだが。

来るもの拒まずで、頼まれればどんな傾向のどんな方であれ、一年間は関わらしてもらう。やりたいという思いに答えるのが役割だと思っている。どんなスタートであれ、田んぼは様々なことを教えてくれる。田んぼは受け入れて、伝えてくれる。自衛隊の体験入隊のように思っていたとしても、自衛隊とはだいぶ違う。田植えした苗が育ち、実りを迎える、生命のもつ魅力は、変えがたい力がある。自分が関わった作業の結果で、自分の命の基となるものが育ってゆく。これは誰にとっても変えがたい体験になる。このことを通り過ぎてしまうか、何かの血肉にするかは、それぞれの力量や、体質によるのだろう。嫌々やらされることから得られるものは、あまり良いものじゃない。だから、子供の頃田んぼの作業を強制されて、田んぼが嫌いに成った人は多い。

嫌なことを我慢してやる。教育というとこういう傾向がでやすい。しかし、田んぼは好きでやるものだ。好きでやらないと、田んぼが嫌いに成る。好きでやる田んぼは、巨大な工場のような田んぼではない。農薬も使いたくなくなる。化学肥料を避けて、土づくりがしたくなる。冬の稲のない間まで、あれこれ必要なことをやりたくなる。経済合理性ではとても割り切れない、深い魅力に触れる。このことを知る為には、やりたいからやる。この単純なことから始まる。体験するということは、結局自分の中にある何かが、掘り起こされると言う事だろう。自分の中にある、育つ可能性を秘めた芽のようなもに、何かが触れると言う事だろう。「好きなことを見つけるのが、子供の仕事だ。好きなことが判らない時は、何もやるな。何かをやってしまうと、本当に好きなことが見つからない。」父が繰り返し言っていたことである。

 - 稲作