市民参加の模索

   

5月22日までの期限であった。小田原TRYフォーラムの市民団体からの提案書の期限が6月5日まで延びた。延びたと同時に各市民団体に提案書が送られてきた。いかにも提案数が少ないことが、推測される。そもそもこの提案は行政よって、テーマが決められている。私に送られてきた案内文章は、「ピースカフェあしがら」に対するものである。ピースの名前が示すように、平和活動の団体である。小田原市で考えた、65のテーマの中には平和に関するものがない。そこでわざわざ送っていただいたし、担当者に電話をした。「ピースカフェに提案しろと言う事のようですが。その他のテーマという形で、平和活動に関して送らせて頂いて良いでしょうか。」あっさり「それは駄目です。関連したテーマがあるのですから、それに出してください。」「そうですか。では平和活動に関連したテーマはどれでしょう。」しばらく黙っている、テーマを見直したのだろう。「ありませんねぇー」「そうなんですよ。全く関連したものもないのですよ。」

無防備平和条例制定活動では、8094名の市民が署名した。小田原市議会では異例の意見陳述を行った。小田原市民の中に、平和に関する意見が多数存在することは、市行政も認識していなければならない。ピースカフェあしがらをはじめ、平和に関する市民活動も多数存在する。何故こうした声を忘れてしまうのだろうか。落とされたテーマの側にすると、何らかの意図をもって、落としたとかんぐりたくなる。つまり、ここで示されたテーマは、当たり障りのないトラブル化しにくいものばかりではないだろうか。久野においては火葬場のこと、広域ごみ処理の事、墓地の事、私の地域では縁のない下水道の借金の事。こう言う厄介なことは、テーマに上がっていない。つまり平和の事を厄介な対立になる、政治的なものと考えていないだろうか。言い方を変えれば行政が平和問題を苦手なこととしていないだろうか。

市民参加を実現することは、実は相当に難しい課題なのだ。選挙のたびに言われる、市民の参加する市政を実現することは、たやすいことではない。長い道のりと、積み重ねが必要である。国立市などの経験を伺うと、市民が参加するように、進めるために、ありとあらゆる小さな努力を行ったそうだ。そして、参加した市民が参加したことを喜べるような、体験を重ねて、市民参加、市民自治の姿が少し芽生えた。それでもいまだ道遠し。市長だった上原さんはそのように言われていた。小田原ではまるで呼びかければ、市民はどうにでもなるぐらいにしか、市民の分析をしていない様に見える。今までの市民参加は、自治会ルートの動員。一見人数が揃ったように見える形だけ作る手法。お抱え市民グループの確保が、担当部署の職員の動員の腕の見せ所となる。当然の事、実質の議論など何もない。

これを変えてゆくというのが、TRYフォーラムのはずである。その為にはまず、テーマを市民から募集する所から始めるべきだ。何が市民にとって問題なのか。市民の目線から、話し合いたい問題は何か。ここに十分時間をかけて行う。それが市民参加を掘り下げることになるだろう。行政内部で、調整して当たり障りの少ない問題に限定して居るのでは、本質的な意味での市民参加には繋がらない。止む終えず、テーマを65に絞るとするなら、少なくとも「その他のテーマ」という形で、自由に意見を集める枠を設けるべきだ。そこに出てきたテーマが市民で話し合う為にふさわしくないものであれば、その理由を示して、テーマとしなければいい。ピースカフェあしがらは暮らしの視点から、平和を考えてゆくために、ありとあらゆる角度から、平和についてのアプローチをしてきたつもりだ。まさに、平和に対し、市民の生活感覚から問題を提起したつもりであった。小田原のTRYは小田原の生活サイドに向ってのものであって欲しい。

機能の自給作業:草取り1時間 累計:21時間

 - Peace Cafe