国連事務総長:韓国の潘基文氏
事務総長に韓国の潘基文氏がなった。国連の仕組みがどうも、不鮮明であるが、4回目の予備投票に参加した15カ国のうち14カ国が賛成票を投じ、唯一「意見なし」で棄権した国が日本だ、そうだ。日本外交の能力の低さを感じざる得ない。これに対し、政府のコメントが、韓国の潘基文氏が選ばれた事は隣国として良かったなど、体裁のいい事を発言している。
15カ国唯一の棄権国であれば、それなりの考えがあるのだろう。きちっと発言するべきだ。潘氏の発言骨子は以下のものである。
▼要請あれば北朝鮮指導者と会談の用意
▼現在空席の北朝鮮問題担当事務総長特使任命の方針
▼北朝鮮制裁決議を歓迎、履行を支援
▼北朝鮮は事態を悪化させる行動自制を
▼日本の指導者は靖国神社参拝など歴史問題に正面から取り組むべきだ
▼幅広い総意に基づく安保理改革の追求
潘長官は今後1カ月にわたり大韓民国の外交部長官と次期国連事務総長という二つの身分を持つことになる。
時として方針や利害が相反する可能性がある。長官としての任務を遂行しようとして国連事務総長の中立性を害する可能性もあれば、国連事務総長としての滑り出しに最善を尽くすため、大韓民国外交部長官としての機能を果たせなくなる可能性もある。
このように韓国の報道は書いている。
隣国日本が、韓国の動向に対し、これほど情報の分析が遅れ、対応を失敗するのは何故なのだろう。日本が国連の安保理常任理事国入りを目指していることと、関係しているのでは無いだろうか。もちろん推測だが、4回目の投票で14カ国が賛成すると読んでいなかった事は確かだ。韓国のように分裂国家から、事務総長が選ばれる可能性を低く見ていた。そこで日本として、恩を売る形、常任理事国入りへの支持を交換に出そうとしたのではないか。
日本の国際貢献をどのようにしていくか、世界での日本の在り方を考えるべき時では無いだろうか。国連外交と一概に肯定的に捉えるが、常任理事国入りにこだわりが見られるように、強国日本路線は、戦後戦前問わずだ。軍事力による、大国から、経済力による、大国へ変わっただけだ。国家の価値は大小ではない、その国に暮す人々の、穏かで、平安な暮らしの質だろう。自殺者3万人の格差社会では、経済の豊かさなど意味をなさないことだ。
経済力で国家の価値を較べる愚かさが、国民全体に拝金主義を作り出している。幸せの尺度を、経済から、暮らしの質に変えること。柳田國男氏が椎葉村で、貧しいけれど、豊かな暮らしをしている人々を知り、その背景にある、文化の重要性を民俗学という学問で、探ろうとした。再度この大切さを認識し、文化の質で、例えば平和憲法で、世界に貢献してゆくことが、日本の役割だと思う。
潘基文氏に投票しなかった隣国日本を、韓国の国民がどのように感じ、悲しく思っているか。こうした日本外交の根に、靖国問題の棘が存在する。安倍氏の曖昧さは知恵ではなく、不愉快さを隣国に生み出していることを、心に留めておかなくてはならない。