「想像」 発行所の羽生槙子氏

   

定期購読している雑誌が、送られてきた時のうれしさ。封を開けるときのもどかしさ。「想像」が先日来た。その前には、江ノ島電鉄「鎌倉高校前の海」を送っていただいた。羽生槙子さんという詩人からだ。想像発行所は今は鎌倉の方に移った。その経緯なども、想像の中で触れられていて、それなりには理解したが、今度の詩集がその成果だ。そんな風に言っていいのかどうか分からないが、今度の詩集は鎌倉に暮している人の詩だ。

羽生さんのことは、NO2の測定活動の中で知った。以前、東海大学の佐々木先生の指導で、山北の測定を担当していた。神奈川県全域を同日に測定をしてゆくことで、全体の大気の状態をつかもうという事だった。

山北と言っても広いので、各地域の方にお願いして、取り付けていただき、配布や回収を担っていた。興味としては、箒杉の辺りはどのくらいか。犬越路にある県の測定を確認するという事もあった。所が、このことをきっかけに、地域の人で環境に感心のある人が、たくさん居るということを知った。その方達との交流のなかで、第2東名高速の問題。産業廃棄物の処理施設の問題。エコループの問題と、かかわりを持つことになった。

地域の人達の在り様と、他所から来た者のありようは違うし、そこは上手く分担する気持ちで、問題に取り組んできた。NO2の測定活動はそのきっかけになった。
川崎の方の喘息に発する、裁判の支援という事が、この活動のスタートにあった。同日に測定すると、何と山北の246号沿いは、特に向原の信号辺りは県内1,2を争うほど、大気の汚染がひどかった。

そこで、24時間通して正確に測ろうとか、高度を変えて測ってみようとか、正確な測定器を持ち込み色々試みた。佐々木先生も我が家に泊まりこみ、指導してくれた。そのとき、何年間も毎日測定を続けている人が居ることを教えれた。その方が羽生槙子氏だった。それを冊子にしているというので、お願いした。そこから、想像出版所のことを知った。

取り寄せた「想像」には瀬戸内の島に住む老夫婦の話が連載されていた。この連載に魅了された。90を越えた老夫婦が二人で暮している。その病院通いや、都会に暮す息子さん達とのかかわりが、瀬戸内の島の空気そのままに、淡々と綴られている。生きることがこれほど、しっかりと伝わる文章に出会ったことがなかった。

それは、いつも掲載されている、羽生家の自家菜園の日常もそうだった。日々の野菜や虫のことなどが、正確に、詩人の目で綴られている。しかし、その平和な暮らしの背景に、平和運動に取り組まれてきた歴史がある。その芸術と生活の姿に学ぶところが多かった。イラク自衛隊派兵のとき、強い憤りがあるが、詩の中でそれを直接語ることは出来ない。語ることの出来ない、悔しさの強さがひしひしと伝わってきた。芸術の無力。私の詩は野菜のことであり、虫の事だ。そのことが、歯軋りのように書かれていた。

人から人に伝わるという事は、そういうことだと知った。声高に叫ぶことより、思いの深さが、小さな一言に込められるという事がある。芸術はそういうものだと思う。それがいかにも歯がゆいが、それだけに伝わったことの真実がある。今度の詩集の中に、眠った赤ん坊に、「海だ」と教える若い女性がえがかれている。

その思いのあふれ方に、生きている生の声が聞こえる。そうした一瞬の切り取りに込められる物が、平和な暮らしであり、平和運動だと私は思っている。こういうときっと、それは甘いという人が居るのは知っているが。

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