縮小化した左派

中道改革連合というどういう立ち位置なのかわかりにくい政党ができた。そして、先日の選挙で大敗北を喫した。左側の一人として辛い。政治を諦めざる得ないほどの状況である。それでもあきらめるわけにもいかないので、どう受け止めればいいのかくよくよ頭を悩ましている。
これが、はっきりと共産党の人であれば。こんなつまらないことでは悩まないだろう。私は共産主義は好きだが、共産党は嫌いだ。学生の頃の共産党というか民生の立ち位置が、一番許せなかった。いわば信仰のように固まっているように見えた。今あの人たちはどうしているのだろうか。
それでは言い方が悪いか。共産党の人は信念のように自己確立しているのかもしれない。自分の宙ぶらりんを改めて感じるところだ。茫然としている。自分が孤立した気分だ。そもそも孤立していたのに、なんとなくどこかにいる左側の人と連帯している気分があった。ただ気が付いたら、どこにも確固たる連帯先がないわけだ。
日本が世界の先陣を切って、極右政権の支配する国になってしまった。ヨーロッパでも極右グループは台頭しているが、さすがに政権までは取れないでいる。日本はどうしてしまったのだろう。まだ猫をかぶっているトラの高市氏が極右主義者であると考えない人が多いのであろうか。一気に極右政権が誕生した。
高市政権は社会の分断など一言も言わない。社会を2分する選択をこれからするらしい。つまり自分と反対側を切り捨てるつもりらしい。日本をこれから分断する気でいるわけだ。もちろん私は切り捨てられる側にいる。高市氏のいう、2分の分かれ目はどのあたりにあるのか。
核保有なのか。平和憲法を終わりにすることなのか。民主主義を終わりにするあたりか。アメリカの53番目の州になるのか。どのあたりを目指しているのだろう。まさか積極財政という訳の分からないあたりならばいいのだが。
これからの立ち位置は少数派としての自分にゆだねられたと考えている。つまり、日本が軍国主義国家になることを、高市氏は託されたと考えて言る。核保有も考えているはずだ。ただアメリカが許してくれるかを図っているのが現状ではないか。
高市など死んでしまえ。そう言えと田原総一朗氏は叫んで、ボケたように討ち死にした。さすがにマスコミで生き抜いてきた人らしい終わり方である。こうした自分より年上の政治評論家と言われた人たちが、一人去り、二人去りという状況である。
若い人たちはまるで違っているようだ。大報道機関は近く終わるだろう。そして、大本営の発表組織だけになる。それ以外の報道機関は支持する人が激減しているのだから、経済的に、成立しないことになる。健全な報道機関がない社会がどうなるのだろうか。
そして、むしろ大衆は雑多の情報のごみ山の中から、自分に合う情報を、探し出し、拾い出す時代になる。良くなるのか悪くなるのかはわからないが、そうなることだけは見える。報道もAI報道という訳の分からない回答の時代になる。
最近、東京に出てきて一番変わったのは、新聞を読んでいる人がいないことである。昔は朝の駅の売店は新聞を買う人が、流れるように続いていた。パットお金を放り投げ、自分の新聞を一部さっと抜き取ってゆく。私は買いたいと思ったとき買おうにも、値段がわからなかった。お釣りなど言える状況には思えなかった。
宅配の新聞も縮小しているのだろう。私は八重山毎日新聞を届けていただいている。石垣島の状況が分かり重宝している。世界情勢については、独自調査はない。台湾に関しては詳しく乗っている。うちの奥さんはくまなく読んでいるらしい。
「視野は世界に、視点は地域に。」が標語だったか。素晴らしい新聞社の方針ではないかと思う。日本の各地にこうした健全な新聞があれば、日本もこんなことにはならなかったと思う。新聞社もテレビ局もだらしがなかったから、こんなことになってしまった。
私が左より人間である自覚はある。このブログに正直に書いてある文章のレベルの、なんちゃって左派である。しかし、中道が真ん中だとすれば、支持者の私はどうも左側に外れたような気分でいる。中道が受けると考えたのだろうが間違えだったわけだ。
考え方自体が一番近いのは共産党ではあるが、共産党の名前を名乗っている間は嫌だ。民生をどうしても思い出す。上部組織からの指示で動くという下部組織感覚が耐え難い。自分の考えで判断できない共産主義者では、ロシアや中国や北朝鮮だろう。
では私が、極左なのかという気もするが、過激派ではない平和主義者である。革新でもないか。リベラルはちょっといやらしい。進歩派ではない。むしろ保守主義者ではある。社会主義者とか、共産主義者とも違う気がする。ハト派と呼ばれるのだろうか。
何か塊としての自分の所属する名称がない。ノンセクトという枠も昔の左派にはそういえばあった。ノンセクトラジカルというのもあったぐらいだ。セクトというのもあれこれありすぎてよくわからなかった。そういえば共勝連合とうのもあったがあれが統一教会だ。
2分するというからには、自分は反高市の側は確かなのだが、どいう枠組になるのかが不明である。消費税は維持すべきと考えているから、もうすべてが反高市であることだけは確かだ。問題はその反高市勢力にまったくまとまりがない点である。
自民党ではない勢力というものが、いわば高市補完勢力というのが多いようで、確かに3分の2が高市派という感じを受ける。2分する位置がだいぶこちら側に迫ってきていて、反高市派は少数勢力の感じがする。
縮小化した左派は確かなことなのだが、今の高市派は多数派ではあるが、きわめて不安定なものの気がする。イメージ保守派ぐらいだろうか。なんちゃって保守なのか。世界の情勢の不安定化の中で、いくらかでもはっきりした方にしがみついたような気もする。
これから実際の高市政権の政権運営が始まれば、思い描いていた高市氏とは違うということになる可能性は高い。これは様子を見なければわからないことだが、日本の経済はさらに悪くなることだけは確かだ。
階層間の格差はさらに広がるだろう。高市氏に期待したものは裏切られるはずだ。まだ状況は固まったわけではない。物価高はさらに進む。社会保障は縮小。反移民と言いながらも、外国人労働者はさらに増加する。エネルギー危機の再来。
問題は反高市勢力がどのように結集してゆけるかであるが、これがどうも期待できない。野党も総入れ変えできなければ無理だ。昔の政治家が出てきて、つまり野田斎藤路線の野党ですといわれても、残念ながら十分見てきて期待薄。
野田氏も公明党もダメだったものが、合併してもダメなものはだめ。ダメというのは考え方がダメというよりも、イメージが古くてダメということになる。イメージなど関係ないと言えばその通りだが、選挙で勝つにはイメージの方が大きな要素になる。
SNS選挙の時代では、選挙戦略が変わっている。高市政権が勝利した一番の理由は、台湾有事発言で、中国を仮想敵国から、本当の敵国に変えたことにある。日本人は中国の圧力に対抗するために、強くなろうと高市政権を選んだ。
野党はまさかと考えていた思う。私もこんな単純な作戦が成功するとは思わなかった。要するに人間が変わっている。日本の社会が変化している。この変化に野党は特に左派系野党はどうも気づいてもいないらしい。柔軟に対応ができない。
これが野田斎藤合併であった。しかも、これから変わって行こうというどころか、むしろまた後戻りしそうな空気さえある。こんなどうしようもない姿勢ではこれから、日本が大困難時代に入るときに、到底対応ができない。野党は大きな変革が必要になっている。これができるかどうかが分かれ目であるが、どこか無理そうに感じてしまう。