移民問題
新しく切り開いている田んぼ2反。手前に水が湧いている。1ヶ月の雨なしにもかかわらず、水がある。
日本でも移民を受け入れるという内容の文章が、ナイジェリア政府が掲載した。ホームタウン政策に関する認識のずれである。これが世界のSNSで話題になり、日本でも炎上した。好待遇の受け入れと、特別なビザを発給するという告知だったのだ。ホームタウンに指定された都市では、市民から猛反発が起きた。
政府としてはごまかしながら進めてきた、外国人労働者の受け入れが、あからさまな本音になり、表現されてしまった。と言うことなのだろう。それこそナイジェリアとの文化の違いで、忖度なしに、ナイジェリア流の理解として、正直に書いた文章だったに違いない。
日本には移民を受け入れる土壌が醸成されていない。島国で、鎖国を300年間もしていた国だ。外国人との付き合い方がぎこちない国である。近隣の国を次々に植民地化して、大失敗を支度にである。そして、一方で移民という名の棄民を政府が率先して行い、悲惨な状況を生み出した国である。
国民の合意なしに、説明もなしに、国はなし崩し的に移民政策を進めている。すでに昨年末時点で377万人である。ここ数年は毎年10%近い増加である。この数は国民の3%になる。現状は大変な状況が起きているにもかかわらず、十分な移民対策を行うことが出来ない。
政府は企業の労働者不足を補うためだけに、躍起となって移民受け入れを進めている。そのごまかしの一番が、移民を外国人技能研修制度というような、意味不明のまやかし言葉で押し通している。本質は移民であるにもかかわらず、あくまで一時的なものだとしている。
先日、日本人ファーストを掲げた政党が参議院で議席を一気に増やしたことからも、国民の不安が増していることは間違いが無い。しかし、政府は愛から割らず何を目指しているのかは、表明できない。ただ企業や日本人がやりたがらない仕事を補うために、外国人をなし崩し的に受け入れ続けている。
国民一人一人が、移民が日本の社会にどんなことを起こすのか、十分に考える必要がある。日本は人が余れば、棄民をしてしのごうとした国である。満州に傀儡政権を作り、満蒙開拓を奨励した国である。それらのことが日本人にどれほどの不幸をもたらしたかを考えれば、意味安易に移民の受け入れを進めていることは、必ず大きな失敗を生むはずだ。
欧米社会では不法移民の排斥が起きている。私がフランスで暮らした大昔でも、フランスでは移民を差別して、ひどいことが起きていた。警官などが平気で移民の労働者に対して、暴力を振るう場面を目撃した。泥棒を働いたとして、普段穏やかな店主が黒人を蹴り倒しているのを目撃したこともあった。
日本人は、と言うか黄色人種は黒人よりもひどい差別を受けていると感じたことがあった。ある程度言葉が聞き取れるようになると、差別がひどいことが身にしみた。ただ、社会的には人種差別をするような人間は、最低の人間とされていて、知性のある人は差別を見せるようなことは無かった。
日本社会では朝鮮人差別が未だに深刻に残っている。戦後80年が経過しても、一向に改善されないことである。この差別の深さが、韓国の反日感情に反映されている。両国ほど仲良くしなければならない隣国であるにもかかわらず、わだかまりは薄れることが無い。日本が悪かったのだ。
日本は島国の国である。本州は広いとは言え、島であることには変わりがない。昔は平戸が好きで何度も描きに行った。瀬戸内の島。九州の島。東京都の大島とか、八丈島とか、青ヶ島。島の閉じた空気は、独特のものを生み出していて魅力的なものだ。
終の棲家として石垣島を選んだのも、島好きだからだ。この島の何千年と閉じた感じが、島独特の文化を生み出している。八重山の各島々それぞれに空気を持っている。八重山合衆国というのだが、むしろ各島は独立国家のような違いがある。与那国島と石垣では全く空気は異なる。宮古島になると言葉が通じなかったという。
日本がこの先どうあるべきかを、一人一人が方角を考える必要がある。日本は自給自足国家を目指すべきと考えて居る。江戸時代のように自給自足の国作りである。しかし、鎖国をする必要は無い。外国人を排斥する必要も無い。大いに来ていただけば良い。日本人になりたい人にはなって貰えば良い。
ただ、日本人人成るための関門は厳しくなければならない。日本語を話し、日本文化を愛する人でなければならない。これからさらに日本経済は厳しくなるだろうから、あまり出稼ぎ的な人は来なくなると思われるが、日本で一稼ぎできればと言う人は、来て貰っても困ると思う。
今の政府の政策の間違っているのは、出稼ぎは大歓迎と言うことだろう。出来ればある程度かせいだら、帰って貰いたいと言うことが政府の希望のようだ。それでは虫が良すぎる。今のままの受け入れ方であれば、戦前朝鮮人労働者が日本に渡ってきたように、様々な国から外国人が働きに来て、その結果新たな第三国人が生まれてしまう。
80年経っても日本人には成らない人がにほんにいるのである。甲子園で昨年は優勝し、今年も大活躍した京都国際高校は実は、可能性に満ちた学校なのだ。韓国朝鮮人学校として出来たのだが、2004年には日本の中高一貫校になった。生徒の内訳としては、日本人が大半を占めるようになった。
生徒数は中高合わせても、150人居ないという小規模校である。特徴は野球に力を入れている高校。良い監督がいるらしい。男子生徒の大半が野球部員というのだから、野球をやろうという高校生には入りたくなる私学というところだろう。むしろ私学経営の結果のような感じがする。
そして国際高校という名前の通り、韓国の高校の卒業資格をもらえることもあり、韓国の難関大学に進学する生徒もいる。こう言う私学がうまれて居ることは希望である。効果が韓国語と言うことで、朝鮮高校なのでは無いかという誤解があるが、むしろ日本の国際高校と考えた方が近い。80年では無理であった日韓融和が100年では出来るように進まなければならない。
ともかく日本の国際化はまだまだ時間がかかる。政府は労働者不足で体制が整わないまま外国人労働者の導入を進めている。受け入れ体制が不十分であることは政府自体が認めていることだ。まずやらなければならないことは、一時的なものでは無く、移民として考えると言うことだろう。
移民であれば日本人になると言うことだ。それであれば教育でも社会福祉でも医療でも、賃金でも労働条件でも日本人である。企業の希望する安い労働力という考えは、間違っている。それは日本人にとっても良くないことなのだ。日本人労働者の賃金が上がらない理由になりかねない。
日本の社会が移民の受け入れが嫌なのであれば、外国人労働者の曖昧な受け入れを止めることだ。来る人も出稼ぎと言うことでは無く、日本人になる覚悟で来る人に限るべきだ。特に、移民流出国には質の悪い出稼ぎ斡旋の仲介業者がいるらしい。結局、情報の少ない地方出身者が欺されて、日本に送り込まれる事例も多いという。
移民について、子供の頃から気になっていた。父の叔母に当たる人が、アメリカのサクラメントに移民花嫁として嫁いだ。その人のアメリカでの差別や抑留や、農業の苦労の話を聞いた。そして、その娘さんは頑張って勉強をして、ハワイ大学の教授になった。ハワイ大学に留学した大森先生という世田谷学園の講師をされていた人を紹介することができて、とても喜ばれた。今どうされているだろうか。