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笹村 出-自給農業の記録-

高校野球は教育とは言えない。

   

今年の夏の高校野球は、沖縄尚学高校が優勝した。沖縄は高校野球は昔から強い。プロ野球の選手になり、活躍している人は石垣島出身のかたも居る。石垣島もスポーツ一般に良い選手が出る地域なのかもしれない。具志堅用高ボクシング選手。新城幸也トールドフランス自転車選手。

沖縄が高校野球に出場したのは、夏の大会では1958年の40回大会から特別出場が初めてである。戦前には台湾の嘉義高校が甲子園で準優勝したことがある。2010年92回大会で興南高校が初優勝した。その年は春夏連覇をした。今回沖縄尚学高校が優勝し2回目である。尚学高校は春にも2回優勝しているので、甲子園3回目の優勝になる。

初出場の1958年は各県一校という出場枠が出来たため、沖縄県税も出場が出来るようになった。それまでは九州大会で敗れたために、甲子園までは行けなかったのだ。どのスポーツ分野でも、九州大会が沖縄県勢の全国大会出場の大きな関門になっていることは変わりがない。石垣の選手が九州大会を乗り越えるの大変なことなのだ。

離島甲子園というものがあって、今年は第16回が宮古島で開催された。大会の様子は地域FM放送や八重山毎日などで報道される。依然興南高校が優勝したときの沖縄の熱狂の報道を記憶していたので、実は今回石垣島の冷めた感じが不思議だった。決勝戦を気にしている人は案外に、移住者の方だった。本島はやはり遠い場所なのだ。

広島の野球の名門私立高校が、部内の暴力事件で、甲子園で1回戦を戦った後に、出場辞退になった。SNSで暴力事件が炎上して、放火するなどという脅しまで起きたと言うことだった。最近、SNSで状況が変化すると言うことが様々な分野で起きている。生徒の安全第一ということによる出場辞退と言うことだった。

しかし、その後も炎上は収まっていない。暴力事件で出場辞退したのではないのかと言うことである。学校側の出場辞退の説明が、むしろ炎上に油を注ぐ結果になった。ごまかしでは収まらない時代になったのだ。暴力事件に正面から向かい合わない姿勢がさらに学校の立場を追い込んだ。

理由は高校野球が学校経営の手段になっているからだ。多くの私学が、少子化の中で経営が難しくなっている。甲子園に出場すれば、しばらくは入学希望者が増えて経営が楽になる。この炎上事件で学校経営は相当に困難になることが予測される。SNSはある意味社会正義を語るから、ごまかしは通用しない。

SNSは無敵の人が発信している。何も背負っていない人だ。立場の無い人である。私でも抗して何でもブログに書いているが、それが「のぼたん農園」の迷惑になると考える人は居る。当然のことだと思っている。それでも何でも思うことは書くことにしている。あえて立場など無い、無敵の人でいるべきだと考えて居るからだ。

多くの甲子園有名校はそういう経営の枠組みに入り込んでいる。高校野球自体が教育のためでは無くなっている。強豪校になり学校経営を盤石にしたいと言うことが優先されて、人間教育がおろそかにされる傾向がある。高校生という難しい成長期の人間の教育である。様々なことが起こりうる。

暴力事件やいじめが無いはずが無い。あっては成らないことだが、いじめはどこの高校でも増加しているはずだ。社会が鬱屈が溜まったものだからだ。高校生は特に難しい時期である。大学受験が圧迫している。野球が強くなりたいと言うことは、決して個人のことでは無くなる。

甲子園に出場しなければ、プロ野球のスカウトの目にとまらない。先輩の何さんには人生がかかっている。お前等はそれが分からないのか、などと言うことで制裁が起きたりする。誰だってそうだが、高校野球も美談のきれい事だけでは無いのだ。お金が絡んだ嫌な側面も含んでいる。まあそれが社会と言うものかもしれない。

7年間私学に勤めていたので、何となく私学の経営と言うことは、分からないわけでは無い。私の勤めていた学校も、甲子園に出場したことがあった。しかし、それよりも東大入学者数で上位校になることの方に、熱心だったと思う。それまた学校経営においては重要なことだ。

高校生が一生懸命努力すると言うことはどう言う分野であれ大切なことだ。それを出来る環境を作ると言うことが、学校の使命のようなものだろう。良い仲間が居て、良い指導者がいて切磋琢磨する。あらゆる分野で重要なことである。この正しい方角と、SNSの「無敵の人」問題が関係してくる。

ひろゆき氏が提唱した無敵の人(むてきのひと)とは、社会的に失うものが何も無いために、犯罪を起こすことに何の躊躇もない人。を意味するインターネットスラングと言うことだが、今問題になるのは、犯罪よりもやっかいな社会正義を振りかざす人の方だ。

犯罪ならば取り締まれば良いのだが、むしろ正しすぎるのだ。今回の出場辞退であれば、下級生に対して暴力を振るっては成らない。というのは誰もが認める正義である。これをあらゆる角度からとことん攻めるわけだ。

ところが伊東市市長さんの学歴詐称問題が「まつり」に成っているのは、のらりくらりしていて、追求を別問題にして外していく市長が、まるで「無敵の人」に見えるからではないのか。何を言っても響かない。筋道立てて問い糺したとしても答えない。その態度は「無敵の人」ではないか。

無敵の人とは犯罪も平気な人では無く、市長という立場のある人であっても、何も応えない人はやはり無敵な人なのだ。その意味では我が日本の石破総理大臣も無敵の人である。そして無敵の人が案外にその無理筋を押し通す社会でもある。言葉は悪いが蛙の面にションベンが一番適切な言葉の気がする。

無敵の人問題は社会の倫理問題である。社会が倫理を失い、お金だけで動いている為に起きている問題だ。校長にしてみれば、学校経営が生徒の教育よりも優先される。市長であれば、市民の未来よりも市長という立場の死守が優先される。ここが「まつり」になる原因だろう。

石破総理は粘っている間に、選挙の敗北は忘れられた。それを問題にしようとすると、お前の裏金キックバックはどうなんだという正論が飛んでくる。確かに、あれはごまかしきったはずだった。ところがインターネット社会ではSNS正論は消えない。繰り返しぶり返し攻撃が起こる。

新聞テレビのように視聴率を気にすることが無いから、いくらでもしつこく発信が続く。そして正論は火が消えにくい。ここでの「正論」は産経の正論とも違う。目的ない正論である。一方で政治家はそこを「説明」という奴でごまかせると考えて居る。しかし、いじめの理由の説明を聞いたところで、納得など出来るわけも無い。

政治家は説明をすればみそぎになるという勝手な理屈を打ち立てようとしているが、それは「正論」の前では力が無い。石破さん得意の丁寧な説明など、国民は少しも期待していない。このごまかしが通用しなくなっている。まあ「丁寧な説明」は責任をとらないで済ます方便なのだから、ごまされる方がおかしい。

SNSが社会を動かすのは確かだ。そして良いこともあれば、悪いこともある。結局SNSも社会そのものである。ある意味権力への対抗手段でもある。SNSを良いものに出来るか。悪いものになるかは、社会の成熟度によるのだろう。しかし、大本営発の上からの誘導よりはまだ増しなことは確かだ。

 

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