日本はトイレだけは先進的と言われている。
停滞した国日本では、屈折した気持ちを隠したような、日本を自慢する番組を時々見かける。その自慢の一つがトイレである。これには日本という国の感性の、深い文化に根差した理由がある。そのことを少し考えてみたいと思う。
日本に観光に訪れた外国の方が、トイレが清潔で、至れり尽くせりなので、全自動便器をお土産に買って帰るという、笑い話のような実話がある。日本の思い出話が、トイレでは、なんだかなと思うが、まあ仕方がない。それも一つ話だ。
いろいろ遅れ気味なのに、なぜトイレだけが先進的なのか。そのことを考えると、日本人ということが少し見えてくる。日本人ファーストというのであれば、まず日本人がどんな人なのかを考えてみてほしい。誰かを責めるのであれば、自分は何んなの。ここからだ。
トイレから見る日本人。これには深い訳がある。後かあもう一度考えてみるが、とりあえず思いついたことを書いておけば、日本人の神聖感がかかわっている。不浄なものは神聖なものにつながっている。排泄物を遠ざけて美しく処理する。
日本人は恥の文化と言われる。たぶん今も変わらず、恥ずかしがり屋である。自らを恥として、謙遜をする。ファーストどころか日本人ラストで結構ですので、という控えめが美徳の文化だったのだ。自己主張を恥とした文化。
のぼたん農園には、一応トイレがある。トイレがなければ、体験希望者を受け入れられないからだ。福田さんというメンバーの方が、熱心に作ってくれた。トイレを作るというのは案外に難しいものなのだ。
福田さんは将来家を作るために、退職の際のなんと金で、職業訓練校で勉強がさせてもらえるというので、トイレづくりの講習を受けたという。この発想が素晴らしいと思った。その知識がのぼたん農園で行かされたことになる。
中古のトイレがどこかにないかということを、福仲先生に相談した。「ああ、あるよ。聞いておくから。」ということで、待つことしばらく、このしばらくは、トイレの所有者と、街でどこかで出会うまでの時間である。早ければ、1週間。かかれば1年である。
しばらく待っていると、忘れたころに牧場に埋まっているから、すぐ掘り出す準備をしてもらいに行け。という連絡があった。伺うと、トイレは糞尿の泥沼の中に半分埋まっていた。糞尿と言っても、牛の方である。人間よりはきれいなものである。
象だって、キリンだって、水牛だって、草しか食べないから、草食動物の糞尿は優れている。牛さんは草しか食べないで、あんなに大きくなる。食べたものを効率よく消化している。2度食いする。つまりお腹で発酵させてはもう一度食べる。地球で許されてうんこをできるのは草食動物だけだ。
それでも、なんとこの日本にも野ぐそを奨励する人がいる。野ぐそ体験者ならば、わかるはずだが、これほど爽快なトイレはない。トイレがでっかい地球なのだ。しかし、人が見るような場所で、野ぐそを垂れていれば、犯罪者になる。
人間の一家族の糞尿は1反の農地に垂れ流していれば、地球が見事に分解処理してくれる。一反あれば食糧自給ができて、糞尿処理にもなる。実はその実験は戦後の食糧難時代、相模原の開墾地で私の両親がやったことなのだ。
相模原の開墾地の、糞尿仲間で結婚したのが、我が両親なのだ。人間食べるものが一番である。肥料がなければ食べるものはできない。無肥料を主張するものを否定する理由は、この両親の体験に基づいている。無肥料でいいならば、江戸時代の人は苦労しなかった。
開墾地の麦畑にとびとびにぼこぼこと目立って生育の良い場所がある。それが麦畑でトイレをした場所である。作物は肥料で育つわけだ。三軒茶屋に住んでいたので、街で馬糞を見つければ競争で拾って、小田急線で運んだというのだ。ビニール袋もない時代である。
肥料がなければ、作物は絶対に育たない。食糧難時代は、緑肥を育てるなどという、余裕すらなかったという。大学の農学部の研究員だった叔父が手に入れた、化学肥料がどれほど効果があったかと、感激冷めやらぬままに語っていた。
そうだ、トイレの話であった。体験希望者からは、のぼたん農園には駐車場はありますか、トイレがありますか。と聞かれることがよくある。さすがにトイレは畑ですとは言えないので、トイレを作ることになった。
もう水洗トイレがなければ、トイレができない子供が大半だろう。のぼたん農園は、糞尿の体験教室ですと言いたいところだが、それではハードルが高すぎる。シャワーや更衣室もなければ、体験納受が運営ができない日が近い。
日本人の衛生観念である。小学校の授業では日本では人糞が肥料に使われているために、野菜などから病気になると教えられた。回虫、鉤虫、鞭虫だ。小学校では検便が良く行われた。これは人糞たい肥の作り方に問題がある場合のことだ。
当時の向昌院の糞尿たい肥の作り方を説明しておく。トイレの下に、1m×2mの大きさで深さが1mのコンクリートの槽がある。それはもう一つ並んでいて、下から、次の浄化槽に送り込まれるようになっている。
第2の槽まで糞尿が進むのは、何か月かかかるだろう。その糞尿はどろどろ状態で、時々水を入れてかき回すようなことをしていた。その第二の槽から、糞尿を取り出して、落ち葉の上にかける。
落ち葉にかけた、糞尿はすでに臭いというようなことはない。すぐに熱を出し、湯気を出している。子供は面白いのでその上に乗って遊ぶ。汚いから止せと言われてもへいチャラだった。別段汚いとは少しも感じなかった。
12月にたい肥が積まれ、何度か切り返しが行われて、春になって、畑に入れて耕作が始まるわけである。すべてが手作業だつた。落ち葉たい肥だけで作物を作っていた。金肥と呼ばれた化学肥料など、買いたくとも買うことができなかったのだと思う。
向昌院のやり方は特別なことではなく、日本全国で行われていたことだ。戦後の日本列島で8000万人くらいの人が暮らしていた時代のことだ。ここまで戻る覚悟があれば、日本人は平和に心豊かに暮らすことができる。
日本のトイレが衛生的と言われて、おしりを紙で拭くこともいらない時代になった。はっきり言っておかしい衛生観念である。きれいはきたない、汚いはキレイがここでも考える必要がある。野ぐそが一番きれいだ。
お尻は川の水で洗えばいいだろうし、葉っぱで拭けばいい。今でもそういう国はあるはずだ。むしろそういう暮らしをしている人の数の方が多いのかもしれない。日本人の間違った衛生観念が、トイレのおかしな進化をさせたのだ。
日本のトイレの先進化はまさに日本人を表していると思わざる得ない。日本人の表面的な衛生観念と、恥の文化である。トイレを恥としているから、どんどん新製品が受け入れられ、至れり尽くせりの奇妙なトイレを作り上げてしまった。
音楽が鳴ったり、水の流れる音がしたり、人間が糞尿をする動物であることを、恥として隠そうとしている。水牛はわざわざ糞尿を飲み水にする。そしてそれを飲む。そうして体調を整えている。水牛は堂々とトイレをする。
次なるトイレの進化は、糞尿健康診断だそうだ。落ちてくる糞尿を分析して、その健康状態を通知するという。確かにそうだ。糞尿の確認は大切なことだ。しかし、それは自らやるべき観察ではないか。機械任せではまずいだろう。だから、水に流してはまずい。
糞尿に向き合うべきだ。日々の糞尿ほど健康状態を表しているものはない。検便、検尿をまず自分の感性で向き合うべきだろう。恥として、嫌なものとして遠ざけるのは、何か人間が弱まっているからだ。