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笹村 出-自給農業の記録-

上田薫さんのスーパーリアリズム

   

上田薫さんというスーパーリアリズムの絵らしきものを描く人がいた。生卵やゼリーなど、人間業とは思えない絵らしきものを描いた。発表された当時はアメリカでハイパーリアリズム絵画というリアル絵画がすでにあった。それをまねたものだと思っていた。

一種そのリアルさが評判で注目をされた。現代美術の一分野として位置づけられていた。何故、こう言うまがい物を絵画として扱ってしまったかと言えば、美術が衰退期に入ったために、リアルという即物性を芸術の一種として理解しようとしたのだと思う。

96歳で亡くなられたと言うことがしばらく前に報道されていて、ああ昔こういう人がいたと言うことで思い出した。しかし、日本の絵画の世界はあの頃から衰退期を迎えていて、結局上田さんまがいの絵らしきものを、芸術としての絵画として扱うようになり、その流れは未だに続いている。

曲芸と言うことで考えればそれで良いのだが、何故か未だにそっくりに描く絵が絵として扱われている。まさに芸術衰退期の一つの病状なのだと思う。芸術がいかなるものかなど考えるまでもなく、超絶技巧の写実であるというような曲芸的技を、芸術の一つとして扱われていて、評価されている。

美術館でも作品として収蔵されているわけで、21世紀の芸術の後退と言うことで記録されることになっている。何故こうしたことになったかと言えば、何度も書いてきたことだが、芸術が自己表現であると言うことを見失ったからだ。表現すべき人間を消し去ると言うことが、表現であると考えたのだろう。

デュシャンの既製品の便器の展示を、アートだ。現代美術だ。と言われても、便器は便器であって、アート作品ではない。既製品の便器を芸術作品として美術の場に展示すると言う行為が、現代芸術の表現の一種として着目されたと言うことになる。岡本太郎氏が、アートは最終的には指を差せばそれで良いと言われた。

そうなのかとは思うが、私には結局のところ、指を差すことをアートとしての行為だとは思えない。どうでも良いことである。上田薫さんの絵らしきものも、それと同じだと考えて居る。作品という意味で自己表現がそこにはない。指を差すだけでは自己表現にはならない。

自己の表現がないだけでなく、芸術としての表現でもない。現代美術なのだという意味では、確かに芸術を否定するという意味での表現ではある。しかし、困ったことに芸術衰退期においては、こうした芸術否定の行為を芸術の一種として扱う。

それが誤解の一つになり、芸術の本来の意味としての表現という意味が、失われることになる。それは大きく捉えれば、絵画のデザイン化の流れということなのだろう。様々な美術館に飾られている作品の大半が、デザインというジャンルのものと考えた方が良い。だ座員作品だから美術館で飾っておかしいと言うことでもない。

絵画が表層的な図像になり、表現を離れて行く。その流れを強めているのが、商品絵画の潮流である。スーパーリアリズムが希少価値という意味で、絵であるのかデザインであるのかなど、考えることもない。芸術論争とは別問題で商品として売れるのであれば、画商は喜んで扱うことになる。

最終的には商品絵画の流れが、21世紀の絵画の流れになった。絵画は芸術ではなく、デザイン化したと言うことなのだろう。日本美術は特に芸術としての絵画と言うより、床の間に飾られる装飾品として美術作品は扱われてきた。ふすまを埋める部屋の付属品であり、デザインとして展開されてきた。

そうした装飾品の中に紛れ込むように、芸術と言える絵画が潜んでいたと言うことが、日本の美術の歴史なのだろう。そこに明治時代に入り、文明開化である。何でも西洋かぶれで西洋絵画を優れたものとして受け入れたために、西洋の近代絵画をある種、批判できない芸術として、受け入れた。

その日本文化が混乱する中から、日本独自の芸術として絵画が登場した。中川一政氏がその代表的作家である。西洋文化に負けていない、日本文化に根ざした芸術としての絵画が模索された。西洋絵画もマチスを最後にその芸術としての作品は途絶えたと行っても良いと思っている。

絵画が社会に対して表現としての力を失ったのだ。それは当然のことで、様々な自己表現方法が出現した。特に映像が出現し、様々な表現手段が表れる中、絵画というものは商品として、部屋を飾る装飾品としての意味以外には、存在価値を社会的には失う。絵画は個人の行為の中にのみ存在することになる。

それが「私絵画」と言うことになる。自分という人間の生きる行としての絵画制作である。社会とは繋がりは薄いものになる。千日回峰行の修行者と社会との関係と同じである。それを尊ぶものにとっては、神のような存在になり、寄進する価値がある。

しかし、スポーツ登山というものもあり、アルプスを走りきる種目もある。行者以上に厳しい訓練をするスポーツも他にもある。もっと厳しい訓練を重ねているのだろうというスポーツもある。一部の人にとっては、それも神のような存在であり、見物料を払って見せてて貰うようなスポーツになる。

しかもそれが美しい表現を伴うものであれば、みる人たちを芸術表現として魅了することになる。舞踏などそうした表現になるのではないだろうか。むかし、絵画作品の前で舞踏を踊る表現者はよくいた。しかし、それは見せるためと言うより、自分の探求という意味の方が主たる目的になっている気がした。

私絵画もそうした表現方法なのだと思う。自己探求の制作が、場合によっては外部に対する表現として、受け止める人もいる。しかしあくまで、自分自身の探求のための絵画制作である。これが21世紀以降の絵画の表現になるのではないか。そのように考えて私は制作をしている。

上田薫さんは晩年認知症になった。当然あのリアル絵画は描くことが出来な句成った。認知症絵画に画風が変わるのである。するとやはり、そこに描かれた絵は、絵のようなものではあるが、個性というものを感じられない、デザイン的な画面である。

実はこう言う気持ちで、卵を描いていたのかと思えた。92歳の時に認知症になり、96歳で亡くなるまで絵を描いていた。2021年から以降の作品も、個展には展示されたそうだ。その作品が面白い、かわいいという評価があると朝日新聞には書かれている。

認知症になられてから素晴らしい絵を描き続けた佐藤さんという人が水彩人にいた。最後まで衰えたという感じの絵はなかった。むしろ集中が高まり、絵が佐藤さんの内的な世界の中に入り込んでいった。佐藤さんの場合、亡くなられる直前の絵が一番面白かった。

認知症になり純粋化した。私もこの先認知症になったとしても、佐藤さんのように私絵画を描き続けたいと思う。佐藤さんの一途な絵は、衰えたというようなえではない。何しろ100号もある大作を描きつづけていた。もう一度見たいものだと思う。

絵を描くと言うことはある意味認知症になるようなことかもしれない。絵を描くという行為は、世間的には何の役にも立たない。座禅と同じことだ。当人だけの問題になる。上田薫さんの認知症後の絵が面白いと感じる人もいる。それも認知症の上田さんにはどうでも良いことになる。

残された絵を名前など取り除いて、どう見えるかだけを考えれば良い。その絵が自分に意味があるかないか。それだけが芸術としてその絵を受け止められるかどうかになる。芸術として絵画を見ると言うことは、自分の生きるに直結する体験になるかどうかになる。私も認知症になったとしても、そうした作品を残したいとは思っている。

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