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笹村 出-自給農業の記録-

アメリカには野球に似たスポーツがある。

   

 

大リーグでドジャースが優勝をした。素晴らしい試合だった。これがベースボールだ。これが、ワールドシリーズだと言うことが分かった。7試合の内ドジャースが勝った試合は全部見た。負けそうな試合だと、ヒヤヒヤしてみていられなかった。ドジャースファーンと言うよりも、日本人3選手のファーンだ。

大谷、山本、佐々木、の日本人3選手の活躍が、素晴らしいもので応援に熱が入った。ベースボールはホームランで決着が付く。どの場面もホームランの可能性があり緊迫している。7戦目は石垣島に帰る成田空港の待合室で見ていた。始めて飛行機が遅れたことに感謝をした。もっと遅れろ、遅れろ。と試合の最後まで見ることが出来た。

山本投手の最終戦のピッチングは、手に汗握るとはまさにこの試合のことで、素晴らしかった。どこまでも冷静なのだ。打たれなかったわけではないが、打たれたときでも表情が落ち着いていた。9回は絶体絶命の場面で救援。センター好捕からのダブルプレーで切り抜ける。

10回も無失点で切り抜ける。11回には1アウトで1塁3塁に成った。もし抑えきれば、ドジャースの勝利である。さあ、、ドキドキ。ここでダブルプレーだ。と願ったところで、ドンピシャのショートゴロのダブルプレー。狙ったとおりのピッチィングがこの場面で出来るすごさ。

桁外れの強い精神力だった。追い込まれても少しも動じない精神力は神がかり的なものがあった。少しも興奮した表情を見せない。冷静に最善の投球が出来る。勝負はきわどいものであった。どちらも過去最強と言えるチームだったのではないだろうか。最強対決の過去最高の試合を見せてもらえた。

はっきり言ってしまえば、日本シリーズのニュースなどを見ると、少年野球なのかと思えるほどの違いがある。身体の大きさが平均身長で20㎝は違うのだろう。大リーグには世界中から、選手が来ている。アメリカのベースボールとは、もう言い切れないところもあるのだろう。ベースボールはアメリカファーストとは言い切れない。

山本投手は前日も96球投げて、最終戦抑え投手で出場し、勝利投手である。その翌日にまた投げるなど、ベースボールではまずないことだ。もし無理をして投げたとしても、まともに投げることは出来ないのだ。このシリーズの4勝の内3勝が山本投手である。驚異的な回復力の身体である。日本選手の特徴になっている。

また、大リーグの守備のうまさも目立つ試合だった。随所でファインプレーで切り抜ける。守備で勝利するという試合ばかりだった。これほど拮抗したチームの戦いで何故ドジャースが勝利できたか。それは日本にある野球の選手育成法にある。投手が完投をすることをを評価する野球。

高校野球でも最近は複数ピッチャーで戦うようなチームが多くなってきたが、やはり、完投勝利を出来る投手が評価される。子供の頃大人気だったのは西鉄の鉄腕稲尾投手である。1958年日本シリーズでは5試合に登板し、連投をして4勝を挙げて日本一を達成した。また、1961年にはシーズン42勝をしている。3年連続30勝も達成した。

ここに日本野球の原点のようなものがある。ベースボールにある合理主義を越えた、いわば野球道漫画のように目指す世界。生き方としての何かがある。たぶん日本の武道の歴史に関わることなのだろう。スポーツをやり遂げるその先にある人間と言うことなのではないか。だから王選手が文化勲章なのだ。

大谷選手がバッターであり、投手であるという、信じがたい活躍をしているのも、そうした理想に向けて全力を費やすという美学と言うのか、生きる方角があるのだと思う。大リーグでもバッターであり、ピッチャーである選手を目指す人はいるそうだ。しかし、どちらかを選択しないと、厳しい大リーグでは身体を壊すことになる。

大谷選手も肘を壊し、手術を受けた。そこで普通の選手であれば、投手を辞めてバッターに専念することになる。ところが大谷選手はどうしても投手に復帰したいと言うことで、ついに復帰し勝利投手になる。ホームラン55本盗塁20盗塁。普通の選手とは目指すところが違うとするほかない。

身体を故障する可能性もかなり高いと言わざるえない。一年でも長く選手を送ると言うことを願うのであれば、何か一つに絞るのだろう。たぶん、やりきる覚悟のようなものがあり、自分をギリギリのところまで突き詰めている。それに耐える強靱な肉体がある。ということでもあるが、やはり気持ちが普通の人とは違うのだろう。

大谷選手は日本文化が理想とする人間のような気がする。また本人の言動からもその意識が感じられることがある。余りに立派すぎる人だ。日本人として、大谷選手がその人間性の素晴らしさで、アメリカで評価されるのを聞くと、誇らしい気持ちになる。

日本人のドジャースの3選手の活躍を通して、日本人というものが目指しているものが、少しはアメリカ人にも伝わるのではないだろうか。日本人は利害だけで生きていない人もいると言うこと。何を大切にしているかを見せてくれるている。

スポーツに対する姿勢。生きると言うこととが人間の完成である。人間を成長するるためにスポーツをするという考え方が残っている。スポーツが修行として捉えられる。現代の高校野球で起こる不祥事を見ると、そうとも言えなくなってきたわけだ。

大谷選手を見ていると、まだ野球の中に行としての精神が残っているのではないかと思える。だから、スポーツと言いながらも、ゲームと言って終うと何か違う。自分の人生の生きる道の一場面のように見える。ここまで自分というものを突き詰めている人はまずいない。

学ばなければならないと思う。のぼたん農園で田んぼや畑をやれていることは、生きてきて得た幸運である。身体の動く間に、のぼたん農園の完成をさせたい。来年一年で形としては完成をしたい。5年で形を完成させ、5年で自給農法を完成する。

一日を大切に生きたい。日々の一枚に取り組み自分の絵に至りたいと思う。生きることを深く感じて絵を描く。絵を描くことで自分に至ることが出来るのかは分からないことであるが、静かに深く、しかもボーとして昼寝をするように、絵を描き続けたいと思う。まあ、何でも教訓にしてしまうところがくだらないが。

そういうことを改めて感じさせてくれる、大リーグのベースボールだった。

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