芸術はコンピュター革命で重要になる

   

芸術としての絵画は、あえて言えば、「私絵画」はコンピュター革命後も残る絵画になる。描く人間と、絵との関わりが描かれたものは、人間だけが探求できる分野だからだ。知能がコンピュターに置き換わる時代では、知能を越えた人間のことが問題になるはずだ。そこに芸術の役割がある。

人間の表現になっていない絵画は、すべてコンピュター絵画に置き換わるはずだ。そのことは私は50年前に予言していた。回りの絵を描く人にそのつもりで絵を描かなくては成らない時代が来ていると繰り返し主張していた。その意味を理解できた人が居なかった。未だに理解できない人の方が多い。

相手にもされていなかったが、人間の創作としての絵画を、当時から描いていた。つまりマチスに見習い、技術的なものは無視した。自己表現だけが重要だと考えて居た。人間の精神が描かれた者以外は、無意味だと思っていた。絵が上手くなることよりも、人間を磨く方に興味があった。これは今も変わらない。

それは中川一政氏の絵画である。中川氏は亡くなられたが絵を見ればいつもそこに中川一政氏がいる。人間がここまで崇高になれるのかと思う。もちろん遠く及ばないわけだが、同じ方角を向いて絵を描いているつもりである。世界から、芸術としての絵画は失われつつあるが、何としても芸術としての絵画の模索を続けたい。

芸術が人間を救済する時代が来るはずである。人間は知能でコンピュターに敗れ、その存在意義を見失うわけだ。例えれば、ハイパーリアリズムの描写画家が、コンピュター以上には描けないことで、自己存在を失う。そのときに人間はどう生きるべきなのかに戻る以外に無いことに気づくはずだ。

医療分野は、急速にコンピューター化して行く。医療分野はあくまで技術の問題だからだ。沢山の事例が蓄積され、病気が解明されないでも、その直し方は見えてくるはずだ。有り難いことにおかげで、人類の寿命は10年ほど長くなるのではなかろうかと思う。

医療のように直ればそれだけで十分良いというものの場合は、科学的な真実の探求ではない。医療分野は実践的にデーターを蓄積して、こうしたら直ったというような実例の積み重ねである。がん治療を考えてみても、がんという病気が解明されると言うことと、がんを治せると言うことは別の話である。

コンピュターによってがんが治る確率がどんどん上がるのは、日進月歩のはずだ。こうした治療をしたら、10年生きることが出来た。こんな手術をしたら、20年も生きた。と言うことは当たり前になってきている。そしてそれはどんどん展望が開けている。そこにAIが登場して、治療法や手術法の展開は急速に早まることだろう。

たぶん、医療がAI中心に変わるように、様々な分野がコンピュターに従うようになる。技術的なことで解決するものは、当然コンピュターに任せた方が、人間の頭脳より遙かに優秀である。人間が探求する分野が変わってくるはずだ。それは当然のことだが、人間が行う以外にない分野である。

芸術、哲学、宗教、こうした分野は、コンピュターが探求したところで無意味である。人間がどのように生きるべきかは、それぞれの人間が回答を探す以外にない。AIに回答して貰ったところで、コンピュターがが及ばない分野で頑張ることですと、回答するはずだ。

私絵画と同じで、文学においては、上質な日記文学は残る。いわば優れたブログは残る。当然のことで個人の内面を、掘り下げることは、その人個人の問題であり、コンピュターにも関わりようがない。ブログは現状では文学とは思われていないが、AIが繰り出す小説や脚本の方が面白くなり、文学的創作はブログだけが勝手に残って行くことになる。

それを他人がどう思うかはまた別のことだが、残るものとしては、日記文学で、これは日本では平安貴族が工夫したもので、伝統が深い。30年後は日記文学と私絵画が芸術表現として、重要になっていると考えて居る。生きていて30年後の芸術のあり方を見てみたい。もしかして、コンピュターにお願いすれば可能かもしれない。

何故、私は偶然というか、コンピュターとは異質の分野にのめり込んだのだろうかと思う。それは宗教にこだわって生きてきたからではないか。宗教とか、修行とか言うものは、AIとは縁が無い。そこに子供の頃にはまり込んだから、興味が別世界になったのかもしれない。

祖父黒川賢宗は自給自足に生きた僧侶であった。叔父に当たる宗友氏も自給生活に強い興味がある人だった。そしていとこに当たる、宗之さんが今向昌院の住職であるが、この人も自給的な生活を本気で探求している。あの向昌院のある場所が、人間をそう変えてしまうのかもしれない。

自給的な生活が、僧侶の本来の生き方なのだと、祖父は言っていた。私が絵描きになるのでフランスに行くときに、資金はいくら貯めたのか。それと同じだけ上げるからと言って応援してくれた。フランスにいる間に祖父は亡くなった。両親は行くのであれば、自分で行けと言うことだった。あの応援のおかげで、フランス留学が実現できたとも言える。

 

 

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