第109回 水彩画 日曜展示
第109 回 水彩画 日曜展示
大きさはすべて中判全紙

743「いもり池」妙高
2022.5

744「戸田からの富士」
2022.5

745「港」
2022.5

746「七星岩」
2022.5

747「妙高山」
2022.5

748「夕映えのアルプス」
2022.5

749「松本平の日没」
2022.5

750「篠窪」
2022.5

751「伊勢湾」
2022.5

752「空からの富士」
2022.5
中判全紙ばかり描いている。自分が描く絵としては大きい方である。大判全紙を描くこともたまにはあるが、中判全紙の方が描きやすい。都美術館の水彩人展が9月にあるので、それを少し意識して中判全紙を選んでいる。絵を終わりまで描いている。
絵には途中と言うことはないと思っている。描き尽くすより、分からないままの方が自分らしいと言うことがある。分からないということを分からないままに表現できるのが絵の良さだ。しかし、分からないままに置くことも必要だが、同じくらい結論を出してみると言うことも必要なのだろう。
ただし、この簡単に分かるということが危ういことで、他人が作り上げた絵という物を基準にして、結論を出すと言うことになりがちなのだ。自分ではよく分からないのだから、結論を借りてくるようなことになり勝ちなのだ。これが絵を学ぶ上で一番悪い事になる。
要領よく結論を借りてくる悪い習慣が身についてしまう。その方が結論が出ているから、評判も良いことになる。評判の良い絵の真似なのだから、一定の評価がでるから始末が悪い。自ら勘違いしてしまう。私もそういう罠に落ち込みかけて、絵が描けなくなったことがある。
その時々である。行き過ぎたり、戻ったりしながら進んで行くのだと思う。水彩人展は勉強会だと思っている。人に見せるためではなく、自分が見るためである。会場で出来れば絵を語る会を行いたいと思っているが、果たして出来るかどうか。
見に来るお客さんに迷惑になるから、そんな物はやって貰っては困るという意見も、最近はよくあるからだ。絵を見に来る人にお客さんなど呼ぶ人は、一人も居ないというのが、水彩人の精神のはずだが、時間が経つと変わってくる。勉強会であった水彩人もいつの間にか、普通の公募展に巻き込まれそうになる。怖いことだ。