昔の絵の続きを描く

手前は新しく整備した溜め池である。一番田んぼ、二番田んぼ、三番田んぼと見えている。稲刈りまであと一月ぐらいだろうか。新しく整備した一週道路の途中から写真を写している。丘の上が崎枝の美しい集落である。山の後ろ側の下がカピラ湾になる。
最近昔の絵の続きを描くことが良くある。昔の希望のない描きかけの絵も随分捨てたので、残りは少なくなり20枚くらいかと思う。中には30年も前の鉛筆で下書きをしていた頃の絵まであった。それでも捨てられなかったのは何か見込みがあったと言うことだ。
この分からなくなって途中で止めていた絵の続きを描くことが、今になって絵の勉強になる。30年前の絵を描く心境と今の心境の何が違うのか、何か進んでいることがあるのか。その違いが描きながら、確認が出来る。何故捨てないで30年も次を描こうかと持っていたのかが分かる。何故ここで絵が止まったのか。その感触が確認できる。捨てないで良かったと思っている。
昔も今も分からなくなったら、できるだけそこで止めるということにしている。昔どこで分からなくなって、いまならどのように進めるのかと言うことが分かる。水彩画を描く技術の幅が、30年前より広がっている事は確かだ。30年前というのは油彩画を止めて数年後だ。昔止まってしまったのは、その先の技術的な方法が見えなかったと言うことが案外に多い。
描き方が多様であれば、そのどれかの方法でその先を描くことが出来る。たとえば、田んぼの水の中の様子をどう描けば良いかと思っても、対応する技術力が無ければ、そんなところはそもそも描こうとしない。面白と思うところをためらいなく描き始めることが出来るためには、何でも描ける技術が必要だ。
絵を描いていると難しい場所や新しいものは避けて、やれる技術の範囲が描く対象になりがちである。得意の場面を繰返し描く人が普通である。昔のかやぶき屋根の家なら何とかなるというようなことになる。日本の絵描きは画家というより絵を描く職人に成りがちだ。
その結果、生涯ほとんど描く対象が変わらないことになる人が多い。そういう人が職人的にその人の得意分野を描くが画家になる。日展の指導では絵は変えてはならないと言われたと言うことを聞いた事すらある。変えたら審査の時にその人の絵と分からなくなるからだそうだが。
難しいから描けないと言うことは私には無い。上手に描く必要がないからだ。描きたいと思った物は何でも描いてみる。そのものを描く技術力が無い事は良くある。だからといって描いてみたければ描く。何とかなると言うのでは無く、別段描けるように描ければ良いと考えているからだ。
良い絵を描く事が目的ではない。ある種の良い絵が存在しているのはわかるが、そういうもに近づこうとは思わない。むしろ未だかつてないものに向かいたいのだ。それは昔の絵のつづきを描いていても、昔から同じことをしていると思うところだ。
昔は、良いところで止めていた。この先分からないままやれば悪くなると言うことだけが分かるからだ。良いままで終わりまで行こうとしている。ところが今はむしろ悪くなるまで描く。悪くなるとは自分から離れると言うことなのだが、悪くなったほうが自分が描いた絵らしいと言うことが良くあると最近では感じるからだ。
自分だと思っている物の限界はいつも破壊しなければならない。こんな絵は自分の絵ではない。そういう思い込みを捨てようと思う。まさかこんな絵を描くのかと自分自身すら驚くようなところに踏み込みたい。そうして自分という物の限界を超えたい。
確かに絵は調和を求めて描く。そして破綻にまで至らなければ絵にならない。この正反対の行為を動じに行うのが絵を描くことなのだ。画面にとって調和は大事なことだ。ところが破綻がむしろその人間を垣間見せると言うことは普通にある。
欠点がその人の特徴と言うことは人間なら当たり前の事だ。だから絵に枠を設けては成らない。まさかこれ誰の絵ぐらいで良いのだ。それは人間というものは、本来完璧では無くいくらか破綻している部分が個性のような気がする。
正確さだけを求めるならば写真になる。ところがその写真を越えたようなあり得ない正確さで描こうという絵がある。その馬鹿馬鹿しいおかしさが、ある意味破綻であり、主張になる。何でも良いのだが、成長して行く人間という物が、繰返しだけであるのはそもそも絵の描き方が自分という人間に沿っていないと言うことだ。
確かに昔の絵の方が良いと思うこともある。つまり、30年一歩も進めなかったどころか、後退しているでは無いかという部分である。人間はそういう物だろう。若い頃の新鮮な感性しかとらえられないものがあるのは当然ある。情けないが歳をとり感じる力は衰えたのかもしれない。
それを認めた上で絵を描かなければならない。年齢と共に良くなると言うより、年齢と共に衰えるのが普通のことだ。その点スポーツ選手と同じである。しかし、人間衰えだけでは無い。年齢と共に進んでいる所もある。絵がいくらか自分になっている。ここが良いところだ。
自分が描く絵という物への理解がいくらか広がってきているからだ。一般論では無い、私自身の生きる方角が歳をとり先が見えてきたからだ。私にとっての絵の方角もそれに伴って出てくる。残りの時間十二分に描くためには何を描くのかが狭まってきた。
この点が30年前の絵とは違う。30年前は終わりの無い絵の道であった。今は終わりは長くとも30年以内と言うことははっきりしている。30年とはつまり折り返せばあの頃から、いままでの時間である。30年前の絵の続きを描くと言うことは、その30年間の進捗を確認できると言うことだ。
この先あるとしても30年しか無い。平均的ならば、10年か15年ぐらいだろう。その時間に描ける物がどれだけあるかが想像が付く。漫然とやっていても何にもならないと言うことが分かる。この絵なら許せるという自分の絵を描くと言うことに目標を定めろと言うことだ。そこまで行けなければ今の絵がすべて嘘になる。
そろそろ昔の絵はなくなる。それでも、石垣で描いた途中の絵が今度はある。すでに絵は変わっている。私の中では変わっている。それを続きを描くと気づくことだ。日曜展示で番号を振った絵は保存庫にしまってある。その続きも又描くのかも知れない。
まだそれを取り出してみてみる余裕は無いが、いつかはやってみるのかも知れない。新しく描くと言うことと、続きを描くと言うことは確かに違う。気持ちの置き所が違う。